ホーリーランド3エピローグ

AD2015新年から始まった世界格闘大会も、そろそろ冬を迎えようというこの時期に、ついにその幕を降ろした。

34人の腕自慢が、誰もが己こそ世界一の格闘家であると、闘志を剥き出しに集った。
そして、開幕と同時に二人が死に、一人が心を折られた。
そんな過酷な闘いであった。

時に仲間を集い難敵に立ち向かい、時に拳を交えた先に恋の花が咲き、友情が実を結んだ。
そんな血の沸き踊る闘いであった。

10ヶ月……実に、実に長く、そしてまた激しく、厳しく、辛く……何より熱い闘いであった。
それは見る者に、きっと何らかの力を、衝動を、決意を与える、至高の芸術であったとも言えるだろう。

17人の死者と、4人のリタイアと、13人の立ち続けた者達と――
全ての選手が、全ての力をぶつけあい、織り上げたこの善き作品に――



***



――“母”に手をあげようとは、魚崎も愚か者の一人であったか

――なに、既に代わりは用意してある。“母”も、魚崎も、な

――マスケーラ13……果たしてあのような若造に務まるものか

――務まらぬならばそれまでよ。精々、その時まで我々機関の宣伝をしてもらおうか

――詰る所、この大会も、その帰結も、全ては我々の思い通り

――全ての選手と、大会に、賛辞を贈ろうではないか……良い余興であった、と



***



「祖国の為に乾杯!」

チンッと、グラス同士がぶつかる小気味良い音が、薄暗いバーの中に響いた。
吹雪に閉ざされ、灰色に染まるロシアの街並みの一角。
入り口のドアに掲げられた電気ランプの灯りも切れ掛け、明滅を繰り返す場末のバーで、
exとewの二人はグラスに満たされたウォッカを一息に飲み干した。

「出来れば、お前と闘いたかったものだ……」

紫煙に煙るカウンター席で、exは横に並ぶewへと語りかけていた。
ewは表情を隠すマスクと同じように、押し黙り、話を聞いていた。

「まあ、過ぎた事だ。今は、大会で得た力を、どう未来へと活かすか……」

煙草を燻らす酒場のマスターが、空になったグラスへとウォッカを注いだ。
exはグラスを手に、我が義父上に乾杯――と、再び喉を焼く液体を飲み干した。

マスターの他、店内にはexを含め、4人しか客は居ない。
だが、それでも空虚さを感じない程度に狭い店内。
酒と、益体のない言葉が、ただただ消費されていく。

「……なぜ私はSUPAIになれぬのだろうか」

exが、ふと呟いた。
ewは黙して答えず、ただ酒を呷っている。
exはそれを見て溜息をつき、ewと反対の席へと顔を向けた。

「そうね……心当たりは色々とあるけれど、まずはその道の先達に意見を聴いてはどうかしら」

exに視線を向けられた人物、夢見ヶ崎さがみは、
自身が持ち込んだ甘口ワインの注がれたグラスからそっと口を離し、そう答えた。
その言葉を受けて、exとewとさがみの三人の視線が、カウンター席の右端、さがみの隣に座る人物へと集まった。

「んあぁ〜?なんれすかぁ〜?……おろぉ?もうないのぉ〜?」

皆の視線の先、着崩したスーツの胸元から豊満な胸の谷間を覗かせる一四一が、
手にTokaji Aszu Eszencia 1998と書かれたラベルの貼られた、高級そうな空き瓶を逆さに持ちつつ、
据わった両の目を三人へと向け返した。

「……いや、話が通じそうに見えず……」

その様子に髭面で渋面を作るexと、

「にゃんだと〜!いいでしゅか〜!なにごとも酒!おしゃけれしゅよ〜!」

意外にも話を聴いていたのか、何やらアドバイスらしき受け答えを見せる四一。
その答えに、酒場のマスターがハッハと笑い声をあげ、煙草の灰がカウンターテーブルへ散った。

酒の席に暗い顔は無用。

再び、空のグラスへと、ウォッカがなみなみと注がれた。
各々、グラスを手に取り、それを顔の前へそっと掲げる。

「夢の為に――乾杯」

さがみが三度目の音頭をとり、ロシアの夜は更けていった。



***



どこまでも続く、モンゴルの青い大草原。
空の青と、草の海の青が混じり合う地平を背景に、ドルジは走っていた。

転校生として激しい闘いを繰り広げ、多くの強者達の攻撃をその巨体に受け、酷い怪我を負ったはずの、
そのドルジが、そんな怪我などお構いなしと、ひとつの目的のため、目指す場所のため、駆けていた。

やがて目の前に迫る到達点と、そこへドルジが到達することを妨げるかのように立ち塞がる屈強な男。
しかし、ドルジはやはり怯むことなく、走り、そして己の脚を、前へと蹴り出した。

「ゴォーーールッッッ!!!」

ドルジの脚から放たれたシュートはキーパーの脇をすり抜け、見事ゴールネットを揺らした。
ドルジ、負傷を押して、絶賛、サッカー中であった。

「いやぁ、さすがはドルジさん!見事なフットワークで……」

サッカーの試合を終え、観客達が汗を拭くドルジを取り囲み、囃し立てた。
そんな周囲の声に、ドルジはマイクパフォーマンスでもするかの如く、調子の良い言葉を返す。
だが、ドルジの目は言葉とは対照的に、静かに観客達を見渡し、二人の人物の姿を探していた。

(あんな手紙を残しておいて……結局、残ったのは……)

汗を拭いたタオルを首にかけ、ベンチへと戻りながら、ドルジは功淘駕、アジラ・ノンの二人を思った。
闘いの中で得た、小さな二つの縁と、ままならない生き様というものとを。

(土俵際に何が潜むかは分からない……それもまた、格闘家達の定めという訳だな)

観客達の輪を引き連れ、モンゴルの青き龍は、人知れず、今日も己の相撲を取り続ける。

(俺は俺の生きたいように生きる……お前達の分まで)



***



「はぁ……」

後藤は秋葉原の一角で、溜息をついていた。
自分にとって運命の相手、テコンドーを始めるきっかけとなった幼馴染と、大会で出会うことはなかった。
それでも諦めきれず、どこかに幼馴染の居所の手がかりになるものはないかと頭を捻り、
そういえば大会開催にあたって、参加選手の身の回りで招待状に関するトラブルが多発していたということを思い出し、
こうして、配られた招待状の行方をあちこち当たっていたのだが――



とある居酒屋では、何やらマッチョの厳ついオヤジとボロボロの道着を着たずだ袋持ちの男が、
酒を呑みながら格闘ゲーム談義をしていたという情報しか手に入らず……

希望崎学園では、何やらADVの会の面子が、
パン屋と黒服と騒動を起こしたという情報しか手に入らず……

某農大へは、立ち入ることも出来ず……

修羅の国CHIBAでは……ぼんやりと空を見上げる、ひとりの少女しか見つからなかった。



「仕方ないし、今日はケバブでも食べて帰ろ……」

そう呟いた後藤は、大通りから一本外れた小道にある、ケバブ屋へと美脚を向け……
そこで屯するガラの悪い男達と、ひとりの壮年を見つけて、立ち止まった。
何やらケバブ屋について揉めているらしいその集団。
見たところ、外国人と思しき壮年を、男達が囲んで脅し文句を並べているらしい。

後藤には目の前の事態をさっぱり飲み込めなかった。
外国人の男――ユースフと呼ばれていたか――はケバブ屋の店主だろうか。
ガラの悪い男達は店の立ち退きでも要求しているのだろうか。

だが、後藤には細かいことはどうでも良かった。
幼馴染が見つからず、お腹も空いている。
そんな状況で、目指すケバブ屋の前を塞がれている。
その事実だけ分かれば、十分であった。

「ちょっとあんたたち!」

後藤は迷わず、自分よりもふたまわりは大きい体躯の持ち主である男達に声をぶつけた。

「か、勘違いしないでよねっ!別にあんたらと闘いたいわけじゃないんだからっ!
 ちょうど誰かを蹴りたいと思ってただけなんだからねっ!」

どこかピントのずれた、お決まりの台詞を。



***



そこに並ぶ店達は、小柄ながら年を重ね、地域に根ざした温かさを皆備えている。
世界格闘大会、前半戦において、多くの名勝負を生んだ石松町そよかぜ通り。
かつて前回大会によって経済に壊滅的な打撃を被ったこの商店街も、今では沢山の人で賑わっていた。

『スズハラ機関が送る、次世代の悪巧み』『マスケーラ13せんべい』『銘菓 爆弾もなか』

客の目を惹くのぼりが通りのあちこちに立ち並び、風に吹かれ、整然とはためく。
のぼりの間を縫うように、親子連れの笑顔や、カップルの笑い声、友達同士の掛け合いが列を成して流れる。
商店街の店主達は、ひっきりなしに訪れる客達に笑顔と汗を振りまき、威勢の良い掛け声をあげている。

そよかぜ通り商店街希望の星、飛騨はじめがマスケーラ13のNo.12となったことにより、
商店街はスズハラ機関のバックアップを受け、大々的に世界へとその存在を宣伝されることとなった。
その結果、商店街を訪れる客の数は飛躍的に増大。こうして、見事、華々しい復興を遂げたのであった。

「赤ァァァコォナァァァーーー!!!流暢なYOKOHAMA語を操るさすらいの格闘家、A’!!!」

そんな賑やかな石松町そよかぜ通り商店街に響き渡る大音量の声。
声の元は商店街の脇にある公園の中からであった。

「青コォォォナァァァーーー!!!その実力は世界格闘大会で折り紙つき、ポポ・マスカラス・レオ!!!」

声の正体は、公園の中央に設えられた特設リングのアナウンスであった。
沢山の人で賑わうようになった石松町、集客にうってつけと、ポポの興行の真っ最中であったのだ。

「いつでもいいZE!かかってきな!」

「いくぞ!!!GAOOOOOOO!!!」

四角いリングの上で、互いに気焔を上げ、睨み合う二人のファイター。
リングを囲い、公園一杯に集まり、その様子へと歓声を上げる観客達。
リングロープに区切られた、内と外、どちらにいる者達も、その表情は熱気と、歓喜に満ちていた。



***



大会を終え、日常へと還った選手達。
しかし、それは決して、安寧の日々を過ごし、安泰の場所に眠ることを意味しない。
こと、世界格闘大会に参加し、世界一を目指し、戦った強者達においては。

彼ら、彼女らは、大会を終え、再び世界一を目指す闘いの中に身を置き、闘う日常へと戻ったのだ。
肉体を練り、技を研鑽し、心を定め、己を磨く――次こそは自分が世界一の格闘家であるという称号を得んがため。

大会は終われど、世界一を目指す、世界一の大馬鹿者達の闘いは終わらない。
そう、格闘家達の聖地(ホーリーランド)は――闘いの舞台は、遍く世界に存在するのだから。



***



そして、大会の終了と共に、もう一つの物語も、幕を降ろす。
スズハラ本社ビルの高層階を、不死鳥のマスクをかぶり、颯爽と歩く人影が一つ。
新たなるマスケーラ13となった飛騨はじめは、目指す部屋の入り口に辿り着くと、
気合一閃、その開かずの扉をぶち開けた。

「ッッシャーセー!!!そよかぜ通り商店街を宜しくッッッ!!!」

吹き飛ばされた扉が銅鑼を叩いたような重い振動と共に室内へと倒れこんだ。
入り口の向かい、壁面全体を覆う巨大なガラス窓はブラインドで覆われ、その部屋はさながら暗室の如き闇に閉ざされていた。
内部を一瞥すると、迷いなく闇の中へと足を踏み入れた飛騨。
そこへ、闇の中で幽かに蠢く影から、声が掛かった。

――此処へ何をしに来たというのだ。マスケーラ13のNo.12よ

その声に、マスクの象徴に負けじと瞳を燃やし、飛騨は胸を張って答えた。

「ヘッ!あんたらがろくでなしの能無しだってお客様からクレームが来ちまってな!」

廊下から差し込む四角い光の中に立つ飛騨と、見通せぬ闇との間に、空間が捻じ曲がらんばかりの敵意が鬩ぎ合う。
だが、ややあって、闇の中から嘲笑の声が沸き起こった。

――愚かな。新たな“母”は既に稼動している。大会で得たエネルギーは石松町を消し飛ばすには十分なものだぞ

飛騨の弱みを握っている――そう確信を持っていた闇は、嘲う声音を隠すことなく、飛騨へと語り掛けた。
だが、飛騨はその声の発生源へ向かい、その時既にためらいなく跳躍していた。

「ザッケンナコラーッッッ!!!」

――グワーッ!

闇の中で悲鳴が上がる。
俄に、暗室に満ちる濃密な闇が蠕動を始めた。

――馬鹿めが。構わぬ。石松町を消し飛ばせ。どうした

――既に“母”は起動したはずだ

――待て、これはエネルギー不足、だと。そんなはずはない

「スッゾオラーッッッ!!!」

――グワーッ!

どよめく闇の中を、闇に身を浸した飛騨が駆け巡り、次々と新たな悲鳴を生み出す。

宇宙(そら)ばかりに眼を向け、足元を省みず、他者を愚か者と断じてきた闇達は知るべくもない。
格闘家達を蔑ろにし続けたことにより、魚崎だけでなく、己が『眼』である佐々木十吾もまた、掌から零れ落ちていたことを。
大会内の情報を一手に集めていた佐々木が、死亡者のデータを……“母”のエネルギー総量の情報を、あえて誤らせていたことを。
大会中に影で動いていたその「死者」を、大会終了後も目立たぬように、さがみが匿い、偏狭の地を静かに転々としていたことを。

「それじゃ、あんたらにはしっかりと宣伝してやるぜ……大会で格闘家が味わった『落殺』をな……」

飛騨は冷たく言い放つと、むんずと闇の塊を掴み上げ、ブラインドに覆われた窓へと近付く。

――待て、馬鹿な事は止めろ

――我々には為さねばならぬ使命が、果たさねばならぬ責務が

「イィィィヤァァァーーー!!!」

闇の懇願に聴く耳を貸さず、飛騨は強烈な蹴撃で強化ガラスの窓を破ると、外へ、光の中へ、闇達を放り投げた。
闇の深遠から引き摺り出され、今や白日の下にその正体を晒したかつての黒幕達は、落下する最中、それでも声を上げ続けた。

――在り得ぬ、この様な事態

――否、否否否否否否否否

――我等が悲願、我等が使命

――これが世界の選択だというのか。愚かなり。愚かなり……

闇の掃われた室内。遠ざかる声が聞こえなくなったことを確認した飛騨は、
全ての作業を終え、一礼し、その場を立ち去った。


「アリャアトヤシターーーッ!!!」


世界に轟く熱い言霊を残し、そよかぜ通り商店街を吹き抜ける、一陣のそよかぜのように。