第9TオープニングSS ――“母”に立ち向かう者達――

「私達に協力してはくれないか?」

迷道家達(まよいみち いえたつ)は真剣な表情で目の前の相手、夢見ヶ崎さがみにそう言った。
ちゃぶ台をはさんで向かい側、さがみは湯呑みを手に持ち静かにお茶を飲み、暫しの沈黙の後、答えた。

「相手はスズハラ機関。ほんの数人の魔人が力を合わせたところで、敵う相手じゃないわ」

さがみの真っ当な意見に、家達は視線をさがみから外し、周囲へと彷徨わせた。
規則正しく並んだ畳の目、長い月日を思わせる年代物の柱、土壁、水墨画のように木目の走る天井。

「それでも……知ってしまったからには放っておく訳にはいかない!」

長い沈黙を終えて、家達は再びさがみを見据え、そう答えた。
自分と、仲間達と、そして敵となる機関の規模と……絶望的な戦力差を考え、
しかし、それでも捨てられぬ自分と、仲間達との矜持を思い、家達は不屈の意思を持って、言葉を続けた。

「あなたは特別招待選手の中で唯一、機関とは関係のない存在だ。
 そして私が思うに、あなたがこの大会に参加したのは、機関の目論みを阻む目的あっての事だ。
 子供達の未来を思い、選手達の精神的成長を助けているあなたが、この実験を野放しにしておくとは思えない。
 だから、頼む。私達に協力してはくれないか?」

押し黙るさがみに対し、家達は再び依頼の言葉を述べた。
障子から、和らげられた昼の太陽光が部屋の中へと差し込み、家達の闘志に燃える目に輝きを添えた。
そんな家達の目に何を見たか、さがみは家達を真っ直ぐと見返し、念を押すように、訊いた。

「“母”に牙を剥く、と?」

家達は力強く頷いた。

「私達は“母”を打ち倒す」



家達が正気を取り戻したのはつい先日の事。
世界格闘大会の過酷な戦闘の中で精神をすり減らし、ついには本戦をリタイアした家達であったが、
ある日、突如として失われていた精神の均衡を取り戻したのだ。
原因は大会主催者、魚崎鶏一郎が現れた事により大会で死んだ選手達のパワーが現世に溢れ出し、
それがどうやら偶然にも家達の精神力を回復させる事になったのだ。

正気を取り戻した家達がまず始めに行ったのは、仲間集めであった。
家達は試合を繰り返しながら、自分が参加している大会には何らかの裏がある事に気付いていた。
自分がリタイアする遠因となったのが、その裏を自分が嗅ぎ回っていたからである事にも気付いていた。
だから、大会に敗れ、かつ幸いにも自由の身となった今、どうせならその裏を暴いてやろうと考えたのだ。

運良く、仲間はすぐに見つかった。
五月女(さおとめ)ざらめ、ロマーリオ・デ・ジャネイロ、アカノスイレンの3人である。
3人とも大会をリタイアした選手達であったが、何の因果か、家達と同じく精神を復調させていたのだ。
皆、大会に思うところのある者同士。協力して、静かに水面下での諜報活動を行った。

結果、家達は知る事となった。
大会の裏にある存在――“母”を。

“母”とは――小都市サイズの巨大人工知能、マザーコンピュータのプロトタイプであり、
今回の大会は、人間が極限状態に陥った際の精神状態、肉体の状態をサンプリングし、
機械による人間の管理、社会の管理をより精確に行うための情報を得る、ひとつの実験であったのだ。
もしもこの実験が機関の望む結果を導き出せば、それは即ち、
機械により管理された人間社会という未来が生み出されるという事になりかねない。

家達は探偵である。そして、それ以前に、推理する事、自分で何かを考える事が好きな人間であった。
そんな家達にとって、機械に管理される社会など、決して望ましいと言えるものではなかった。

俄然やる気を燃え上がらせた家達は、探偵としての行動力と、大会で成長した推理力を合わせ、
機関が隠していた大会の裏側へと次々に切り込んでいった。
そして、ついに得た情報が“母”の鎮座する場所。
それが滅亡した都市『関西』であった。



「私達は滅んだ関西の荒野に、秘かに建設されたその施設の情報を得た。
 得たからには、何とかその施設へ侵入し、“母”を破壊したいと思っている。
 あなたは情報収集や、潜入任務のバックアップに関して、プロフェッショナルであると伺っている。
 私達にとって、その腕前は必要不可欠なものだ。
 だから、どうか、頼む。私達に協力してはくれないか?」

三度、家達は請うた。
家達の引かぬ思いが、熱意が、投げかけられ――

「……わかったわ。あなた達のバックアップを引き受けましょう」

そして、とうとう、さがみはその依頼を引き受けた。



作戦決行の日取り、細かい作戦内容等を打ち合わせた後、家達はさがみの屋敷を後にした。
全ては動き始めた。賽は投げられたのだ。最早後戻りはできない。
決死の思いを胸に、3人の仲間の元へと帰りゆく家達の背中を、さがみはしばし見送り――

徐に、携帯電話を取り出すと、何処かへと連絡を取り始めた。

「ああ、佐々木さん。怪我の調子は?――そう、大会参加選手は大変ね。
 それで、ひとつ知らせておきたい事があるのだけれど……“母”について」



全ては動き始めた。賽は投げられたのだ。最早、後戻りは、できない。



――滅亡の地『関西』へ――



夜空を切り裂くサーチライトの光が巡回し、全身を武装した兵士達が其処此処を行き来している。
戦車や戦闘機といった物々しい兵器達が、闇の中、時折受けるサーチライトの光を鈍く照り返す。
不意に警報が鳴り響き、次いで銃声、爆発音が聞こえ、兵士達の怒声と足音が駆け抜けていく。

家達、ざらめ、ロマーリオ、スイレンの4人はスズハラ機関が所有する軍事施設のひとつに忍び込んでいた。
この日こそ、さがみと家達が協力して立てた“母”襲撃作戦決行の日であった。

「大丈夫だ。近くに兵士はいない」

ロマーリオが自慢の聴覚で周囲を窺い、敵の有無を確認する。

「よし……あのヘリを奪う」

家達が指示を出し、その後に3人が続く。
4つの黒い影が、サーチライトの目を掻い潜って一機の武装高速ヘリに取り付いた。

『……ヘリのシステムは乗っ取ったわ。急いで』

家達の耳元でさがみの声が響く。
4人は作戦決行前に、予め、さがみから通信装置として古風な耳飾りを渡されていた。
家達が現場で指揮を取り、また情報端末を外部ネットに接続する役目をこなし、
さがみが無線連絡を取りながら、機関の情報システム・防衛システムを操作・突破する作戦だ。

ヘリに乗り込んだ4人は、スイレン以外は後部に残り、そしてスイレンは操縦席へと移動した。

「さて、憧れの戦闘機だ。私の興奮は止まる所を知らないぞ。皆しっかりと何処かへ掴まっておけ」
『練習の成果の見せ所ね』
「よーし!派手にやっちまいな!」
「本番だ、気を抜くな」
「……」

スイレンが操縦桿を手に取ると、ヘリは轟音と共に夜空へと飛び立った。



家達の立てた作戦、それは足りない味方の人数を、時節を利用する事で補うというものであった。
AD2014から始まった国内の魔人達による紛争は激化の一途を辿り、
AD2015現在、日本全土の至る所が紛争地域と化している。
そんな危険地域の中にあるスズハラ機関の軍事施設をターゲットとし、
また、その地域の暴徒達の活動情報を事前に入手する事で、
施設の防衛システムが暴徒達の襲撃対応に向く、その隙を突いて、施設へと少数での進入を果たしたのだ。

施設へ侵入する目的はひとつ。“母”の鎮座する施設へと補給物資を運ぶ輸送機か、
それを警護する戦闘機を奪い、その機体を使う事で出来る限り早く、安全に関西へと向かう事であった。
地上は関西に近づこうとすれば機関の厳重な警戒網を潜らねばならず、どうしても時間が掛かってしまう。
また、迂闊に空から関西へ向かおうとすれば、すぐに機関の目に付く事となるだろう。
よって、機関の空路を使い、関西へ向かう。これがすぐに打てる作戦の中で最も効果的であると結論付けられた。

もちろん、陣営偽装も危険は伴う。
しかし、どう足掻いた所で勝算の低い戦いなのだ。この望みに賭けるしかなかった。

そして、作戦第一段階は成功した――『想定通り』に――



「見えたな……あれが“母”……」
「おお!本当に荒野の中にデカイ建物が建っているんだな!……まさか滅亡した関西にこんな物があるなんてなぁ」
『陸上の防衛ラインは突破したわ……後は近くに安全に降りられればいいけれど……』

闇の中、荒れ果てた大地に突如として巨大なビル郡が立ち並び、所々に白や赤のライトが点滅し、その影を際立たせている。
操縦席から外の様子を眺めていた家達とロマーリオは、その威容に息を呑んだ。
果たしてあんなものを自分達だけでどうにか出来るのか。
目的地であり、破壊対象である“母”――その姿に圧倒されそうになりながらも、
いいや、やってみせる、と、家達は気を持ち直し、作戦遂行の為に頭を巡らせた。

「さて、それでは着陸場所を……」
「待て!敵と思う前方から迫る物が恐らくある!」

そのとき、家達の言葉を遮り、スイレンが叫んだ。
前方から2機の機体がこちらに向かって飛んできている様を、レーダーが捉えていた。

「ばれたか!?」
『そのようね。もう少し誤魔化そうとしてみるけれど期待はしないで。すぐに脱出準備を』
「はっ……熱い展開になってきちまったな!」
「よし……アカノ。脱出準備だ」

状況を見て取った家達は、即座に続く作戦の行動指示を出した。
敵に接近がばれる事も想定済みの作戦である。
予め低空降下訓練も積んだ面々は、素早くヘリ後部のハッチを開け、降下準備に入った。

しかし、その準備に入らない者もひとりいた。操縦桿を握り続けるスイレンである。
敵に接近がばれた場合の作戦は立てられていた。
低確率で被害を最小限に抑えるか、少しの被害を覚悟で、勝率を高めるか。ふたつの作戦が。
どちらを選ぶか、決断はスイレンに任されていた。

「囮作戦を……選ぶか」
「私は空中戦が出来ると、心躍っている。……武運を祈る」
「……ああ。そちらもな」
「行くがよい。そしてさようなら」

吹き荒れる高空の突風の中で、別れの言葉が交わされた。



高速で飛行するヘリから、闇に紛れて3つの影が荒廃した大地へと落ちていく。
直後、上空で機銃を掃射する音、次いで爆発音が、闇夜に響き渡り、消えた。



――幕間――



光源の少ない部屋の中を、巨大スクリーンに映し出される雑多な映像の光が、ぼんやりと照らし出す。
スクリーンは碁盤の目のように縦横に細かく区切られ、升目ごとに異なった映像を映している。
オオツキ重工の株価が云々、
雲類鷲製薬が新薬を云々、
世界格闘大会はいよいよ大詰め云々、
セプスファミリーが地元の武力行使団体といざこざ云々、
獅子の牙が何処其処で興行を云々、
今日の天気は云々、
高出力駆動機器研究機構の一団が紛争地域の軍事施設を襲撃云々――

そして、関西の地に降り立った3人の格闘家の現状。

スクリーンの正面には、大きな背もたれと肘掛のついた椅子が置かれ、そこには深々と身を沈めるひとつの人影があった。
人影はスクリーンに流れる情報に目を走らせながら、口を開いた。

「愚かな者達だ。全ては我が掌の上」

人影が肘掛から外に腕を差し出した。その手には空のワイングラスが握られている。
薄暗い部屋の隅に待機していたもうひとつの人影が素早く椅子に近づき、差し出されたグラスにワインを注いだ。

「……精々、スリリングなゲームを楽しんで貰おうか」

一礼して去る人影に目を向けることなく、椅子に座る人影はグラスを呷り、呟いた。



――“母”の御前――



下から見上げると威圧的なまでに高く、巨大なビル郡に、夜空が四角く切り取られている。
立ち並ぶ建造物は皆一様に巨大で、無機質で、壁面に据えられた赤や白のライトが静かに明滅している。
もしもここに行き交う人々の雑踏や、走る自動車の排煙があれば、ビジネス街の中心部と勘違いするかもしれない。
しかし、ここには歩く人波も、クラクションを鳴らす自動車も存在しない。
ここは滅亡の都市、関西。そしてその荒野に建てられたスズハラ機関の秘密施設、“母”。
あるものといえば、監視用ロボットの歩く駆動音と、通路を巡るサーチライトの光のみ。
いや、今日ばかりはそれにもうひとつ、ロボットの目を掠め、ライトの光を潜り進む、3つの人影。

「OK。あのロボットのリズムは覚えたぜ。あと5秒で右を向く……今だ!」

ロマーリオの索敵能力、音感を活かし、3人は施設の奥へと進んでいた。
小さな都市程もある“母”だが、その施設の大部分は情報記憶媒体か、単純な数値の演算処理装置である。
人工知能の中枢といえる施設はその中の一握り。そこを破壊すれば修復は困難となる。
そして、中枢施設の破壊手段は至極簡単。
スズハラ機関という中二力を重視する機関が作った施設なのだ。重要な施設ならば間違いなく自爆装置が完備されている。
潜入、自爆装置の起動、脱出。己の成すべき事を胸に家達、ざらめ、ロマーリオは静かに駆けた。

監視の目をすり抜け、目的の建造物入り口にたどり着いた家達は素早く電子盤に情報端末を接続した。
家達は無線越しにさがみと言葉を交わし、侵入のために施設入り口のロックを開錠する準備に取り掛かった。
ロマーリオは、周囲に敵が近づいてこないか警戒をしながら、黙って後ろで待機を続けるざらめに声をかけた。

「疲れてはいないか?辛くなったらすぐに言えよ」
「はい」
「もっと熱く生きる方法、何か思いついたか?」
「いいえ」

作戦の準備段階から決行、そして今に至るまで、ほとんど会話をすることもないざらめに、
ロマーリオはよく声をかけていた。それはロマーリオなりの気遣いであったか。



ざらめは幼少の頃より拳法道場を営む義父の苛烈な稽古により、反射と痛覚を失い、
敵からどのような攻撃を加えられようと、自身の攻撃動作を狂わせず放つ事の出来る特技を持った格闘家であった。
しかし、その特技を得る代償として、苛烈な稽古は少女の健やかな精神を奪い去っていた。

人に言われるままに物事を進めるざらめは、世界格闘大会に出場したのもまた、養父の指示によるものであった。
今回の作戦にざらめが加わったのも、ただ、家達やロマーリオに強く誘われたからに過ぎないのではないか。
ロマーリオはサンバの如き熱い魂を持った男であったがゆえに、ざらめの境遇を思い、普段から気にかけていた。



圧縮空気の漏れる音が鳴り、施設の入り口が開き、常夜灯の灯る薄暗い通路が姿を現した。

「よし、行くぞ」
「流石だなぁさがみさん。よくスズハラ機関の重要施設を操作できるものだな!」
『機関の内部に知り合いがいるから……さあ、急いで』
「ざらめ!行こうぜ!」
「はい」

家達、ロマーリオ、そしてざらめの3人は、細い通路の中へと身を滑り込ませていった。
圧縮空気の吸気音が鳴り、施設の扉が素早く、固く、閉ざされた。



駆動音と共に、部屋の扉が開かれた。

「暗いな……」
『明かりを準備するわ。少し待って』

家達が部屋の中の闇を見渡し、呟いた。
さがみがその呟きを受けて、無線越しに応えた。

侵入した施設の内部、“母”の中枢が座する部屋への中間地点。その部屋は、闇に包まれていた。
部屋の入り口から正面の奥に、赤く光るランプが見える。それ以外は廊下からの光も届かず、部屋の広さも窺い知れない。

「人の気配は無いな……」

警戒しつつ、部屋の内部へと足を踏み入れた家達とざらめであったが、その直後、ふたりとも不意に頭を抑えつけられ、床へと倒れた。
敵の襲撃か、否。ロマーリオがふたりの頭を抑えたのだ。
何があった――そう、家達が聞き返す暇も無く、3人の頭上を何かが唸りを上げ、高速で通過した。

「敵だ!」

ロマーリオの声が響くのと、闇に閉ざされた部屋に明かりが灯るのとは、ほとんど同時であった。
ゆっくりと明るくなる部屋、20m四方はある広さの部屋の中央に、それは佇んでいた。
放った右手首から先を接続されたワイヤーで回収しながら、赤く光る目を侵入者へと向け、ゆっくりと前進してくる巨体。
人工転校生、椎名一重であった。

「……転校生に動きがあるとは聞いていたが……大会参加中の転校生を守りに回していたのか……」
『奥の扉は開錠したわ』
「どうする?迎え撃つか?」
「いや、まともにやりあっては3人掛かりでも危ない。どうにか隙を見て……」

作戦を決行する直前、どうやら魚崎の指示の下、転校生達が水面下で何か動き出したという情報は得ていた。
しかし、“母”の守りに大会参加中の転校生がやってくるとは予想外の事態であった。
この敵の布陣は、ことによると自分達の侵入が既にばれている可能性もある。
元より命を捨てる覚悟はあるが、捨てるならばせめて目的を達成してからにしたい。
どう切り抜けるか、家達は苦悩した。直後――

「打開!」

椎名の懐に一足飛びで入り込み、その胸元へざらめが痛烈な左掌打を見舞った。
椎名の体が一瞬宙に浮き、上体を大きく仰け反らせた。
更にざらめは体を返し、残った右掌打を椎名の腹部へと打ち込み、その巨体を半歩ほど後ろへと弾き飛ばした。

「前へ!」

突然の開戦に慌てて加わろうとした家達、ロマーリオの耳に、ざらめの短い一言が届いた。
瞬間、家達とロマーリオは左右に別れ、椎名とざらめの脇を通過し、奥の通路へと走った。

椎名は二度の打撃を何事も無かったかのように構え直し、
その時には既にざらめの踏み込んだ足を自らの巨大な足で踏み付け、釘付けにしていた。
そしてざらめの動きを封じた状態で、左右を走るふたりの標的をワイヤーアームで捕えようと両腕を広げた。

「打開!」

だが、痛みを感じず、怯む事のない身体を持ったざらめは、足を踏み抜かれたまま、
椎名の鳩尾に再びの掌打を打ち込み、その動きを封じた。

部屋を駆け抜け、家達に続いて廊下へと出たロマーリオは一瞬、後ろを振り返った。
閉ざされる扉の隙間から、弓を引き絞るかのように右腕を構える、椎名の広い背中が見えた。



ざらめの取った行動は、恐らく幼少からの稽古によって身に染み付いたもの、
敵が前に立ったならば迎え撃つ、それを遂行したに過ぎないだろう。
ふたりに前進を促したのもまた、犠牲を伴う可能性のある、事前にたてた作戦の中のひとつを遂行したに過ぎないだろう。

しかし、ロマーリオは前へと走りながら、思わずにはいられなかった。
俺が考えろと言ったのは熱く生きる方法だ、熱く死ぬ方法じゃない。絶対に生き延びろよ――



「あと少しで目標地点だ!侵入は既にばれていると考えろ!急ぐぞ!」
「ああ!すぐにでも自爆装置を起動させて、戻ってやらなきゃな!」

常夜灯が灯るのみの、薄暗い廊下に、ふたりの足音と声が反響していた。



――愚か者達の舞踏会――



“母”中枢施設の外で爆発音が鳴り響き、施設の中心に潜り込んだロマーリオの耳に、その音が届く。
次いで、連続する振動。周囲に広がる精密機器の並ぶ棚がキシキシと音を立てた。これは家達の耳にも届いた。

ふたりの居る場所は既に目的地である“母”の中枢が納められた巨大なフロアである。
円形に広がるフロアの壁面は全て何某かの機械が配置された棚が床から見上げるように高い天井まで続き、
ところどころでひっきりなしにLEDランプが点滅を繰り返している。
部屋の中央には巨大な円柱状の機械が黒々と聳え立ち、絶えず低い駆動音を響かせている。

家達の予想に反し、椎名をかわして以降、進路を阻む敵の出現もなく、最深部まで到達する事が出来た。
罠か、運が良かっただけか、悩む暇もなく走り続け、ついにこの場所にたどり着いた家達であったが、
ここにきての外部の戦闘音に、流石に一端足を止めざるを得なかった。

「なんだこの振動は……」
「俺達の他にここを襲撃してる奴等がいるのか……?」

建物の中にいるふたりには外の状況が把握出来ない。
さがみに状況確認をしようと家達が無線に声を掛けるも応答は無く、不安は募った。
だが、足踏みをしている場合ではないと、家達は迷いを捨てて歩を進めた。

私達が今、ここに居られるのはアカノスイレン、五月女ざらめのふたりが力を尽くしてくれたからこそ。
ふたりの為にも、ここで戸惑っている時間など無い。作戦を遂行するのみ。
家達は前方に聳える黒い円柱の手前、床から四角く伸びる操作盤へ向かった。
施設内の様子、自爆装置の場所は予め作戦会議段階でさがみから裏情報を得て、把握済みである。

操作盤の前に立ち、家達は自爆ボタンのカバーに手を掛けた。
これで作戦は成る、そう思った――その時、

「おおっと、そこまでだ」

不意に声がしたかと思った次の瞬間には、家達、ロマーリオ共に背後から何者かに組み伏せられていた。
突然の事態に、何が起こったのかと身動きのきかない体で首を捻り、背後の相手を確認しようとした家達に、
背中に圧し掛かる謎の相手は嘲笑を含んだ声で挨拶をした。

「やあ、潜入任務ご苦労さん。君達は実際よく働いてくれたよ。
 私の名はアンダーテイカー。高出力駆動機器研究機構お抱えの転校生だ。
 そしてあちらで君の仲間を拘束しているのがナイトストーカー。私と同じく転校生だ」

突如として現れたふたりの転校生は、足元に倒れ伏す家達、ロマーリオに対して不敵に笑って見せた。



高出力駆動機器研究機構の抱える秘密基地の一室。
光源の少ない部屋の中を、巨大スクリーンに映し出される雑多な映像の光が、ぼんやりと照らし出す。
スクリーンの正面、大きな背もたれと肘掛のついた椅子に身を深く沈みこませたその人影が、
画面に映るふたりの転校生の視点映像を見ながら勝ち誇ったように笑った。

「くくく……くっくっ……ハァッハハハァー!良くやった!
 そこに見えるものこそ憎きスズハラ機関の作った糞食らえな“母”!」

人影は興奮して立ち上がると、設えられた机に拳を一度強く叩きつけ、歓喜にその身を震わせた。

「くくっ……去年の丸ビル紛争によってオオツキや雲類鷲の馬鹿共から奪った勢力……今こそ実を結ぶ時!
 これがスズハラ機関への戦の狼煙となるのだ!見ておれ、中二力ばかりの愚か者めが!
 貴様の下らない実験を潰し、我らが力を存分に社会へと見せつけてくれよう!
 我らが研究機構を『ハイエナ研』などとふざけた名で二度と呼ばせはせぬわ!」

興奮した人影はそのままインカム越しに転校生達へと指示を飛ばした。

「いいぞ!アンダーテイカー!そのままそこの馬鹿共に教えてやれ!
 お前達の精神が復調したのはライフスティーラーのお陰だとな!」

部屋の隅に控えている人影がその場でお辞儀をして応えた。

「都合よくお前達の精神が回復するなどという御伽噺を信じていたのか?
 お前達リタイア組は機関の目が遠ざかる、言わば透明人間!我々の計画の駒だったのだよ!
 お前達が機関の施設に簡単に潜入出来たのは運が良かったとでも思っていたか?
 “母”の内部に入ってから、敵がほとんど居なかったのも運の賜物だと?馬鹿が!
 全て我々が機関の目を欺いてきたからだよ!お前達がそこへたどり着けるようにとな!
 お前達は本当に役立ってくれたよ!礼を言わなくてはな。そして安心して死んでくれ。
 “母”は我々がしっかりと破壊させて貰う。機関のふざけた自爆装置などではない。
 我が秘密兵器、『ツームストン』でな!ハァッハハハァー!」

薄暗い室内に、勝利の雄叫びが木霊した。



「……お分かりいただけたかな?」

足元の家達に向かい、アンダーテイカーがインカム越しの伝言を懇切丁寧に伝えた。
話の間中、家達はなんとか身動きを取ろうともがき続けていたが、背後の敵はそれを乱雑に押さえつけた。
それでもなお抵抗を続ける家達に閉口したアンダーテイカーが口を開いた、

「そう暴れるな。話はまだ続いて……」

その時、家達の腰辺りから突如として煙幕が吹き上がった。
家達が身体を捻り、腰に衝撃を与えて用意していた煙幕を作動させたのだ。

「ムッ!」

咄嗟に警戒してアンダーテイカーが家達の背中から飛び退き、距離をとった。
家達が拘束から逃れたと同時、吹き上がった煙幕に注意を向け、重心が浮いた隙を突き、
ロマーリオがナイトストーカーを振り解き、その身体に蹴りを叩き込んで吹き飛ばした。

フロアに煙にが広がれば、音を頼りに戦えるロマーリオに有利。
吹き飛ばされた相棒の様子を窺おうとしたアンダーテイカーに、
素早いフットワークで接近したロマーリオが痛烈な蹴りを放ち、こちらも吹き飛ばした。

フロアに朦々と煙が立ち込めてゆく。

煙幕の中に身を潜め、待ちの体勢に入った家達、ロマーリオであったが、敵の追撃はやってこない。
相手もこちらを警戒して待ちに入ったかと家達が思考し始めた時、煙の外から朗々と響く声が聞こえてきた。

「全く、話は最後まで聞いてもらいたいね。
 何のためにわざわざ背後を取った私達が話しかけたと思っているんだい」

操作盤を背に立つ家達とロマーリオの前方から、声は響く。

「君達には目撃者としての役割が残っているんだよ。
 我々が確かに、スズハラ機関の重要施設をぶっ潰しましたと、そう証言してもらう役割がね」

声に向かい、家達は応えた。

「何のためにだ?」

その言葉に、おやおや、と呆れ声で答えが返ってくる。

「そりゃあ、裏社会のヒーローになりたいからだろう。スズハラ機関に一泡吹かせたとあれば注目度は高い。
 私達のコードネームを聞いて分からなかったのか?うちのボスは過分に中二的でね」

家達は疑問の言葉を重ねた。

「だが、お前のボスは私達に『死んでくれ』と言っていただろう?」

ああ、と、声に若干の嘲笑が混じる。

「まあ目撃者はひとりで十分だからな。折角の魔人格闘家。
 『ツームストン』の調整相手にうってつけだ。ひとりは死んでもらうことになるな」

声が、前方の、上方から響く。
不意にがしゃりと金属の擦れ合う不協和音が鳴り、次いで巨大な質量を振り回す風圧が起きた。
風は広がっていた煙幕を吹き払い、フロアの中の視界をクリアにした。
そこに聳え立つは、体高10m程はある、多関節の四足に四本の腕を持つ鋼鉄の戦闘ロボットであった。



煙の外へ退避したアンダーテイカーは即座に能力を発動。
その場に高出力駆動機器研究機構の戦闘兵器『ツームストン』を転送した。

今回のアンダーテイカー達の作戦は、ナイトストーカーの能力、他人の影に潜り込む力を使い、家達一向を尾行。
“母”の中枢に侵入した時点でアンダーテイカーの巨大物体転送能力によって、
秘密兵器をその場に召喚。内部から“母”を破壊するというものであった。

“母”を外部から攻めても、中枢に至る前に何らかの防御策が取られる事は必定。
ならば、内部に最大戦力を投入し、内と外から同時に攻める、そういった作戦であった。
ついでに研究機構の力の誇示と、最新兵器の対人戦闘情報も得られれば御の字、という訳である。

“母”中枢に侵入し、予定通りに『ツームストン』を召喚したアンダーテイカー達は、
即座に別途用意していた帰還用転送装置を使って施設を離脱。
家達と会話をしている頃には、既に遠隔地からの操作によって『ツームストン』を動かしていた。

煙幕に包まれた『ツームストン』の居るフロアをモニタリングしつつ、
アンダーテイカーはマイク越しに、臨戦態勢で構えているであろう家達とロマーリオに語りかけた。

「流石は世界格闘大会に出場した魔人格闘家。
 精々、この『ツームストン』相手に少しでも長い時間、持ち堪えてくれ」

語りつつ、ロボットの腕を振るい、猛烈な風圧をその場に起こした。
風は広がっていた煙幕を吹き払い、フロアの中の視界をクリアにした。
そこに居るであろう敵に向かい、無骨な鉄拳を構え、巨大な質量から発せられる威圧感を見せつける。
全身に搭載された重火器と、巨大な身体を動かす馬力、機動力を備えた駆動系。
世界的な魔人格闘家は果たして何秒持ち堪えられるか?
資金と技術の粋を集めた兵器が初の実戦に唸り声をあげた。

次の瞬間――

天地の間に光の柱が立ち、その眩い光は夜空を白く切り裂いた。
そして、“母”を全て包み込み、中に居る『ツームストン』を包み込み、関西一円を包み込み――

それら全てを、消し飛ばした。



――そして聖地の幕は上がる――



スズハラ本社ビル屋上。
世界格闘大会参加選手にして、これまで八ヶ月に及ぶ激闘を生き延びてきた強者達が皆其処にいた。
大会主催者、魚崎鶏一郎からの召集によるものである。

時は既に深夜。
屋上に呼び出し主である魚崎の姿は無く、ただ此処で待機するよう伝えられたのみ。
選手達は持て余した時間を潰すため、ある者は空を見上げ星を探し、ある者は眼下に広がる東京の夜景を眺めた。

一体、何のために自分達は呼び出されたのか、これから何が待っているのか、各々が考えを巡らせていた、その時――
その場にいる全ての者が目撃した。音も無く、西の空を貫いて聳え立った、光の柱を――



「見てもらえただろうか。今の光を」

屋上に設置された巨大スクリーンに突如として映し出された魚崎が、集った選手達を見下ろし、語りかけた。

「今の光こそ、スズハラ機関が造り上げた衛星軌道上からのレーザー照射による広域破壊を可能とする、
 人工衛星型光学兵器……開発コード名“母”だ。
 この兵器の動力は集めた中二力、精神力、そして命の力。
 先ほどの光線は、この大会で起こったHPと精神の消費、揮われた中二力、そして死んだ者達の力によって撃ち出されたものだ」

ざわり、と屋上に立つ選手達の間にどよめきが起こった。

「今回はデモンストレーションとして、偽の情報に踊らされた愚か者達と、関西を焼き払った」

機関の決定通り、関西には1300年間、滅びの地となっていてもらう――魚崎は淡々と語る。
そして――と魚崎は続けた。

「まだ、集めたエネルギーには余剰分がある。
 次なる“母”の攻撃目標は――希望崎学園だ。参加者の面々にはあの学園に縁故のある者も多いだろう」

ざわざわと、屋上に満ちたどよめきが大きくなる。

「この攻撃を停止させる方法はただひとつ。
 ――私を倒すことだ。私は今、衛星の中にいる」

魚崎はそこで言葉を溜めた。
スクリーン越しに、選手達の姿をひとりひとり、眺めた。
そしてマントを翻し、高らかに言い放った。

「此処へやってくるがいい!“母”を止めて見たまえファイター達!」



ホーリーランド3終盤、第9ターン開幕!戦いの舞台は宇宙へ――今、空への門が開かれた。



――戦い終えた者達の後日譚――



「馬鹿な!馬鹿な!馬鹿なッ!!」

高出力駆動機器研究機構の抱える秘密基地の一室。
光源の少ない部屋の中を、巨大スクリーンに映し出される雑多な映像の光が、ぼんやりと照らし出す。
機構の秘密兵器『ツームストン』から送られてくる映像を映すはずのスクリーンは、今、ホワイトアウトしノイズを散らすのみ。

そのスクリーンを茫然と眺め、人影は呻き声をあげていた。
と、大きな背もたれに肘掛けのついた椅子から身を浮かせ、人影はインカムへと叫び声をぶつけた。

「何があった!?アンダーテイカー!ナイトストーカー!」

成功したはずの作戦が、敗れるはずのない秘密兵器が、一瞬にして崩れ去った。
人影の元には既に“母”の真の正体に関する情報も届いていた。
しかし、勝利を確信していた心でそれを瞬時に受け入れられるはずもなし。
人影は己の部下に状況説明を必死で促していた。

「お嬢、LOVE CALLが掛かってきたぜ」
「何?出ればいいの?」

だが、人影の声に応えるように聞こえてきたインカムからの声は、部下のものではなかった。

「もしもし?あんたが馬鹿の親玉?」

正体の分らぬ声が、インカム越しに届く。
相手は誰なのか、どうしてこのインカムを使えるのか、自分の部下はどうなったのか、人影はうろたえながらも会話を続けた。

「アンダーテイカーとナイトストーカーはどうした?」
「足元に転がってるこいつらのこと?」
「……何故……私の作戦が……」
「あんたねぇ……そうそう機関の機密情報が漏れると思ってんの?
 機関の施設に簡単に侵入できると思ってんの?
 運良く監視の目をすり抜けて関西へ行けるとか、そんなお伽噺を信じてたの?」
「その……言葉は……」
「あんた達の会話は全部聞いてたわよ。
 踊っていたのはあんた達の方だったってわけよ。
 ほんと、作戦考える奴って、自分の思い通りに事が運んでいると、それがおかしいってことにも気づけないもんなのね」
「何のために……こんなことを……」
「あんたがそれを聞く?
 そんなもの、新技術のお披露目は派手にした方がいいからでしょ」

ああ疲れた、等と聞こえてくるインカムを取り落とし、会話を止めた人影は暫しその場に立ち尽くした。
インカムからは二言三言、何か聞こえたが、再び沈黙した。

「ああ……」

1分ほど経ったであろうか、人影はため息をつくと、椅子の背もたれにその身を深く預けた。
スクリーンの光を受けて見えたその表情は、既に落ち着き、深い皺が刻まれ、落ちくぼんだ瞳には知性の光が宿っていた。

「ふん……決起の時が先に延びたに過ぎん。いずれ結果は変わらぬ。予定を切り替えるだけだ」

ひとり呟き、続けてその人物は後ろに控える己の懐刀へと指示を飛ばした。

「ライフスティーラー。この基地はすぐに破棄する。移動の手はずを整えろ」

指示をしながら、スクリーンに新たに映る世界各地の情報に目を走らせる。
今回の作戦は日本の内紛やイタリアマフィアの動向、国際魔人刑事警察機構の暗躍、某農大の研究、混沌が混沌を呼ぶ状況。
時期は確かに良かった。
ただ、機を逃すまいと、計画を強引に進めた点は否めない。そこが問題だった。

――なに、最後に笑うのは私と、高出力駆動機器研究機構だ。そこに狂いは無い。

素早く今後の展開を試算し始めたその人物は、しかしそこで背後に控えるはずの部下から返答がない事に気付いた。

「ライフスティーラー?どうした」

椅子を回し、背後を見る。
そこには、毛足の長い絨毯に、体を半ば埋めるように倒れ伏す己の部下と、
薄暗い部屋の闇に溶け込むように、無言で立つ、マスクとヘルメットの男がいた。

「……お、お前は……ew(エンドレス・ウォーズ)」

スクリーンの光を背に受け、逆光から影法師のようになった人影が、眼前の光景に、絞り出すような声をあげた。
その声を聞き、ewは――

マスクの口部を大きく開け、満面のewスマイルを浮かべた。



白く立ち込める湯煙の中、
見る者に積まれた鍛錬を想像させずにいられない引き締まった肉体を持つ妙齢の女性が、
自分よりもやや幼い、小さな身体の少女の背中をお湯で流していた。
スイレンとざらめのふたりである。
さがみの屋敷に設えられた温泉の洗い場に、ふたりはいた。

「綺麗な背中をしている。いつもしっかり洗っている事が私には理解できる」
「はい」
「身体の手入れを忘れないのはよい女の子らしさだ」
「いえ……挑発の特訓です」
「挑発?」
「乾布摩擦です」
「乾布摩擦?挑発?」
「裸になって乾布摩擦すると挑発になると習いました」
「よし。私はそれを教えた奴に拳を見舞うことを決定した」

厚く煙る湯気の奥で、ふたつの水音が鳴った。
戦いを終えた戦士達は、揺らめく湯の中に疲れを溶かして、穏やかな時を過ごした。



さがみの屋敷の客間にて、いつぞやと同じように家達はちゃぶ台を挟んで、さがみと向かい合っていた。
ふたりの表情は好対照。微笑むさがみと、苦り切った家達。
さがみから“母”の真実を聞かされた家達は、その肩をがっくりと落としていた。

「騙していてごめんなさい。止めても聞かないなら、不用意に動かれるよりも役者になってもらった方が安全だったものだから」
「だからアカノは……自己犠牲とかではなく……」
「アカノさんには実機を使った危険の伴うシューティング体験と伝えていたから」
「作戦会議聞いていればおかしいと気付くものでは……」
「アカノさん、喜んでいたから、気付かなかったのね」
「つまりあなたが上手く誤魔化していたのですね……」

家達はちゃぶ台の上に突っ伏し、暫くするとお茶を啜ってため息をついた。
家達ら4人は、結局、全員無事であった。
作戦開始前にさがみから4人が受け取った古めかしい耳飾り……
それは所持者をさがみの屋敷に転送する能力を秘めた物であった。

「まあ……シューティングを勘違いして日本に来たんだったか……気付けというのが無理な話……か」

ごつり、と、家達はちゃぶ台に額をめり込まさんばかりに改めて突っ伏した。



さがみの屋敷の庭――春の庭と呼ばれる、柔らかな下草が生えそろう広場の上、
家達、ロマーリオ、ざらめ、スイレンの4人は慰労会のバーベキューを行っていた。

開けた草原に組み上げられた石窯、赤熱する炭、置かれた鉄網、それらを囲む4人の姿が、離れの縁側から覗えた。
雨上がりにふわりと立ち上る、水気を含んだ青葉の香り、ぐっと腹が引き締まるような土の香り、
そんな麗らかな春の陽気を伝えてくる匂いの中に、肉や野菜の焼ける香ばしい匂いが混ざり、漂う。

大会運営の日雇い少女は、遠目に見えるそんな光景を眺めながら、
隣に並んで座るさがみにそういえばと声を掛けた。

「師匠は全部知っていたんですよね?」

少女と同じようにバーベキューをする4人を眺めていたさがみは、
その言葉に顔を少女へと向けなおし、微笑んだ。

「ええ、ドルジさんの人を集める能力でうまく情報や人の流れを操作して、
 他の転校生四天王が遊撃隊。私はバックアップね」
「あの光学兵器についても?」
「知っていたわ。大会中ずっと、空からアレが地上を狙っているって」

少女の視線の先、春の庭では、ロマーリオが得意のダンスを披露し、皆をわかせていた。
家達が何か声を掛け、ロマーリオがそれを断るジェスチャーを見せる。がっかりとする家達。
――私のワトソン役にどうだ――あんたは精神に余裕が出来たらまた調子に乗りだすだろう、
そんな遣り取りでも交わされているのだろうか。

「希望崎……無くなってもいいんですか?」

少女は不思議そうに、それこそ今話をしている相手がそんな事を考えるはずがないと信じ切っている調子で尋ねた。
大丈夫――と、少女の頭に手を置き、その黒髪を梳くように撫でながら、さがみは答えた。

「そっちは気にしなくても大丈夫。あの大会に出場している選手達は負けはしないもの。
 実際に手を合わせた私には分かるわ。だから、大丈夫」

ああ、なるほど――と呟きながら、少女は空を見上げた。
青空にはちぎれ雲がそこここに浮かび、まれに鳥が青色を背景に横切る。
その向こうに危険な兵器と、それを止めんとする屈強なファイター達が居るとは思えない長閑さであった。

実際に、長閑なものなのかも知れない、と少女は思った。
師匠が大丈夫と言ったのだから、本当に大丈夫なのだろう。
だから、そこに兵器があろうと、命懸けの戦いをする戦士たちが居ようと、問題ない。

春の庭では、家達がいかに効率よく肉を取得するかを推理し、
ロマーリオが豪快に肉を攫い、ざらめが黙々と肉を齧り、スイレンが素早く肉を確保し、
これから空の上で行われる戦いの景気付けをするかのように、賑やかにバーベキューを楽しんでいる。

少女は空と、4人の戦いを終えた戦士達を交互に見比べながら、思った。
希望崎が大丈夫なら、せめて、戦いに赴いた者達も、こうして無事に帰ってこられますように、と。



少女の横顔を見つめ、微笑みながら、さがみは思った。
大丈夫、あなたは何も心配する必要などない。
――だから、本当の事は何も知らなくともよい、と。



第9ターンオープニングSS<終>