ホーリーランド3ステマ応援SS 〜〜流血バレンタイン・デー〜〜

その日、私立妃芽薗学園にひとりの訪問者があった。
ゆったりとしたロングコートをはおり、つやつやとした黒髪をなびかせ、
高い背をより印象づける颯爽とした足どりで、学園の中庭を横切るその姿は、
特別な日に浮ついている学園生たちの視線を引きよせた。

それはあるバレンタイン・デーの出来事。


――――――


「高橋さん、状況は?」
「駄目です。寮の廊下は監視の目が光っています」
「佐藤さん、そっちは?」
「こっちも駄目です。正面から部室へ入るのは無理そうです」
「そう……ありがとう。なんとか『隠し通路』を通ってみる」
「先輩、無茶しないでくださいよ」
「先輩、気をつけて……」

スマートフォンから顔を上げ、鈴木三流(すずき みりゅう)は、その中性的で整った表情を引きしめた。

時刻は放課後。場所は妃芽薗学園の校舎の一角。人目につかない空き教室の中。
三流は周囲に誰か近づいてこないか注意深く意識を払いつつ、現状分析を試みた。

――状況は圧倒的に不利。何しろ彼我の戦力差、人数が圧倒的に違うのだ。相手組織はふたつ。下手に動くわけにもいかない。

三流は考え続けながら、手持ち鞄に目を落とした。
その中に詰まった物と、詰まっていない空間とをイメージした。

――しかし、諦めるわけにはいかない。なにせ、自分の行動にみんなの笑顔が懸かっているのだから。

「うん」

三流は小さな声で、ひとつ、気合を入れた。
分かりきったことではあったが、頭の中で反芻することで、改めてやる気が湧いてきたのだ。

廊下に人がいないか、細心の注意を払って確認をした後、
三流はそっと教室の扉を開け、音もなく、その身を扉の隙間へと滑りこませた。


――――――


「鈴木先輩は見つかりましたか?」
「いえ、2Fには……」
「3Fを端から調査中です」
「部室にはまだ姿を見せていないです」
「急いでください。SGの会に遅れを取ってはなりませんよ」

『SLの会』本部。
三流を探し、見つけ出そうと、多くの指示が飛びかう。

SLの会にとって、鈴木三流は、決して外すことのできない存在。
SLの会にとって、今日という日は、決して外すことのできない日。
会の総力をあげて、事にあたっていた。

「あっ!」
「見つけましたか?」
「いえ、あの、背が高くて素敵な方が……たぶん外部の」
「真面目に見張りをなさい」

……会の総力をあげて、事にあたっていた。


――――――


「SLの会の動きは?」
「おとなしいもんですよ。まだ鈴木先輩は見つかってないみたいです」
「鈴木先輩の居場所は?」
「まだ寮には帰ってきてないですよ」
「SLの会に出しぬかれないようにね」

『SGの会』本部。
こちらも、三流の居所を求めて、少女たちがせわしなく連絡を取りあう。

SGの会には、SLの会に負けられない思いがある。
SGの会には、SLの会に先んじて鈴木三流を拿捕する必要がある。
それこそが、会の存在意義なのだから。

「今年こそ思い知らせてやらないと」
「SLの会のことですか?」
「そうよ!私たちのほうが……」
「そうですね。私たちのほうが」

「「鈴木先輩のことを想っているって!」」


――――――


それは妃芽薗学園バレンタイン・デーの風物詩。

『鈴木三流を愛でる会』通称SLの会と、
『鈴木三流を守る会』通称SGの会と、
そして、鈴木三流率いるSLGの会との、甘く、ほろ苦い、乙女たちの闘争であった。


――――――


唐突だが、鈴木三流はもてる。

中高一貫の全寮制の女子校である妃芽薗学園。
男性教師すら存在しないその学園は、とにかく男との接点がない。
外部との連絡すら厳しく制限される現在の状況ではなおさらである。

そんな環境で、鈴木三流の中性的な面立ち、
高い身長は、周囲の女子にとって非常に魅力的であった。

さらに、高い身体能力と、それを存分に活かした行動力、
行動力を活かす決断力を持ち、細かいことにこだわらない大らかさも持っていた。
つまり、人の上に立つ資質を持っていた。

その上、面倒見のよい性格である。
請われれば部活動の助っ人に行き、真面目に自分の役割をこなす。
SLGの会のメンバーの面倒はもちろん、後輩の勉強の手伝いなどもまめにこなしていた。

しまいには、普段のそんなしっかりとした印象をより強めるようなちょっとおとぼけた性格も持ち合わせている。
完璧な人は息苦しい、という人とも、堅苦しさを感じさせないそんな三流の性格が壁を作らず、良い関係を築けている。

要するに、鈴木三流とは、ルックスが良く、頼りになり、優しく接してくれ、気軽に話せる存在なのだ。
そりゃあもてる。もてないほうがおかしい。

結果、三流のファンクラブのようなものが学園内に結成された。

三流の普段の凛とした様子や、ちょっとしたおとぼけや、その一挙手一投足を愛でる、
『鈴木三流を愛でる会』通称SLの会である。

それと、SLの会メンバーによる三流へのアプローチ、おとぼけを期待しての悪戯、叱ってくださいと求愛する輩、
そんなちょっと行き過ぎではと思われる行為・人物が目立つようになってから、
三流を魔の手から守ろうと息巻く同志によって設立された『鈴木三流を守る会』通称SGの会。

ふたつの会は、正面切って争いあうと三流に嫌われるという崇高な理由により、
それでも普段は穏健に、互いを牽制しあい、あらあらうふふと平和にやっていた。

しかし、そんなふたつの会が激しくぶつかり合う日、それがバレンタイン・デーであった。
どちらのほうが真に鈴木三流へ愛と真心を届けられるか、毎年、趣向を凝らして張りあっているのだ。

そして、今年もまた、バレンタイン・デーに三流の姿を求めて、ふたつの会が火花を散らしていた。
ただし、今年は例年になく、お互いに激しく、アグレッシブに、三流へのチョコ・プレゼント・アタックが行われていた。

今年に限って少女たちが血気盛んになった理由。それは三つある。

ひとつは、今年度、高等部の一年に竹取かぐやという少女が転入してきたことである。
その可憐にしてお姫様然とした立ち居振る舞いから、かぐやは学園の多くの少女たちを虜にした。
その結果、SLの会にもSGの会にも、かぐやの存在に心動かされない精鋭たちが集うことになり、
また、かぐやを愛でる者たちへの対抗意識からか、両方の会とも、その結束をより強固なものにした。

ふたつは、現在、学園内で話題となっている世界格闘大会の存在である。
学園生の親戚や関係者も参加しているこの大会は、生徒達の間でよく話題になり、
自然、あちらこちらで少女が正拳突きを打ち込み、ハイキックを放ち、パンチラする光景が見られるようになっていた。

みっつは、今年度で三流が卒業するからである。
つまり、今回が学園内で三流にチョコをプレゼントする最後のチャンスであるのだ。


そんな種々雑多なあれやこれやの結果が――その日の、バレンタイン・デーの、三流の現状を生み出した。


三流は現在、校舎の3F端にいる。
ここから、SLの会メンバーにも、SGの会メンバーにも見つかることなく、
中庭を抜け、寮へ侵入し、『隠し通路』からSLGの会の部室へとたどり着かなくてはならない。

もう三流には、ただのひとりとして、チョコ・プレゼント・アタックを受けるわけにはいかないのだ。

物音をたてず、そっと廊下を走る三流の目は強い意志の光を宿していた。
目指せ、SLGの会、部室。


――3F〜2F――


「サラ先輩の注目は誰ですか?」
「……ex」
「わぁ!渋いですねぇ!」
「そうかな」
「私は埴井きららちゃんかなー」
「そう」
「べ、別にそういう意味じゃないですよ!?あの子は私の友達の親戚で……」

生徒会の歌琴みらい、そしてサラカスティーナ・ダウスィーは、おしゃべりをしながら廊下を歩いていた。
会話の内容は世界格闘大会の注目選手について。

みらいは埴井流格闘術を使う大会最年少格闘家、埴井きららについて、
サラカスティーナはシステマ使いのスパイ志望ロシア人格闘家、exについて、
それぞれご贔屓の選手の話題をあげて、盛りあがっていた。

バレンタイン・デーという日に格闘大会の話とは寂しいなどと思ってはいけない。

みらいには寮の同室の相方や、仕事友達など仲のよい相手がおり、
バレンタイン・デーらしいことはすでに一通り済ませた後であった。

サラカスティーナはあまり親密な人付き合いをせず、静かに日々を過ごすことを心がけており、
バレンタイン・デーらしくない話題を持っている人物のところへ、あえてその身を置いていた。

ふたりとも、それぞれ自分らしいバレンタイン・デーの過ごしかたを満喫していた。
ふたりの横を、チョコの包みを握りしめた少女たちが目を血走らせつつ通り抜けていても、
どちらにとっても特段、興味の対象になることはなかった。

しかし――

「……うん?」
「先輩?どうしました?」

不意にサラカスティーナが立ち止まると、視線を廊下の天井へと向けた。
みらいもつられて立ち止まり、何事かと上を見ると――

天井のでっぱりに、三流がまるで忍者のように貼りついていた。

「えっ」


――――――


「なるほど、事情はわかりました」

三流の説明を聞き、みらいはうなずいた。

生徒会とSLGの会はあまり良好な関係とはいえないものである。
かつて起きた『血の踊り場事件』、それに続く模倣犯が起こした事件。
学園内で起きた血なまぐさい事件の数々、その裏にSLGの会の存在があるのではないかと、
生徒会から疑いをかけられていたためだ。

しかし、みらいはそんな確執をよそに、三流を手助けする申し出をした。

「乙女の純情を傷つけないためなら、いくらでも手を貸しますよ!」
「ありがとう」

三流の手をとり、みらいは力強く宣言した。
そして三流のお礼を聞きつつ、事態を静観していたサラカスティーナのほうへ、みらいは首を向けると、

「サラ先輩も協力をお願いします!」

すでに何かの作戦を頭の中でたてたのか、そう言い放った。


――――――


「鈴木先輩は見つかりましたか?」
「いえ、おかしいなぁ……端まで全部チェックしたんですけれど」
「階段、そちらは?そこを抑えていれば捕らえられるはずです」
「こちらにも今のところは……あれ?」
「どうしました?何か歌声が聞こえますが」
「2年の歌琴さんです。あの、駆け出しアイドルの。何か新曲をこっそり……」
「余計な情報は無用です。注意を散らさないように」
「あっはい。ええと、少し人が集まってきていますが、鈴木先輩は通っていません」
「見張りはしっかりと、よろしく頼みましたよ」


――――――


校舎の1F。三流は詰めていた息を吐きだし、協力してくれた生徒会のふたりに感謝の念を送った。
そして、すぐにまた緊張感を取り戻し、辺りに細心の注意を払い、歩を進めた。

3F、2Fの階段監視をくぐりぬけた方法、
それは、みらいが努力で身につけたアイドル力によって人を集め、そのめくらましの中を、
サラカスティーナの能力『ミス・ミスティック・ミスト』によって正確な正体を把握されない状態となった三流が突破するというものであった。

作戦はこうして無事に成功。
残るは1Fから校舎を出て、中庭を抜け、寮へと入り、『隠し通路』へと到着すること。
持続時間の短い『ミス・ミスティック・ミスト』はすでに解除されている。
三流は、慎重に、その長い足を前へと運んだ。


――1F――


「こっちも駄目、か……」

三流は物陰から下駄箱のほうをうかがい、そっと呟いた。
なんとか校舎の1Fまでやってきた三流だが、寮へ行くには校舎から出なければならない。
そして、校舎から出るための玄関口は、どこもSLの会、あるいはSGの会が目を光らせていた。
(なお、三流はSLの会、SGの会、共に全メンバーの顔と名前を把握している。その辺りのまめさも人気の理由である)

玄関口が押さえられているならば窓から中庭へ出ればよい、かと思えばそうでもない。

――SGの会には風紀委員の子がいるしね。

妃芽薗学園の校舎はセキュリティの関係で、窓を人間サイズの物が通過するとたちまちに検知されてしまう。
SGの会の中には、その情報をすぐに入手できる立場の学生が所属しているのだ。
窓を通路にすれば、即座に自分の居場所がばれてしまう。

どうやって監視をかいくぐるか、三流が頭を悩ませたそのとき――

「花ぁぁぁーーー!チョコをもらいにきたぞぉぉぉーーー!」

目の前、廊下の壁がものの見事に粉砕された。謎の雄たけびと共に。


――――――


「鈴木先輩はどこに行ったのかな」
「SLの会も校舎中を探していますけれど、まだ見つけていないみたいですね」
「もう部室に入っちゃったんじゃないですか?確かめます?」
「駄目よ!SLGの会で和気あいあいとしているところを邪魔しちゃうかもしれないじゃない!」
「いいなぁ……私も『鈴木三流を愛で守る会』に抜擢されたい……」
「いや、SLGの会はShort……」
「きゃあああ!」
「えっ!?何!?何があったの!?」
「なんだか派手な音がしたけど校舎!?」
「な、なんだか男の人が突然!」
「え!?男!?」
「だ、誰かを探しているみたいで……あっ!逃げていきました!」
「え?え?何!?何なの!?」
「い、いっちゃいました……なんだったんですか……」
「こっちが聞きたいわよ!」
「ちょっとそれより鈴木先輩は?」
「げ、玄関は通っていません……」
「窓を通過してもいないみたいだから……やっぱり部室ですかねぇ」
「念のためSLの会の動向はちゃんと見張っておいてね」
「了解でーす」
「……部室かぁ」
「……」
「……」

「「「いいなぁ……」」」


――――――


「花ちゃんに会ったら、目立たずに退散してくださいね」
「ああ、情報提供ありがとな!」
「いえ、こちらも助かりました」
「あん?まあいいや。あっと、そうそう。あんたの兄貴も例の大会に出てるんだろ?俺の弟も出てるんだ。よろしくな!」

三流は突如の闖入者、屍骸戦(むくろ いくさ)と電話越しの会話を終えると、
人の姿の見当たらない中庭を見回し、ほっと息をついた。

屍骸戦――世界格闘大会出場選手、バーリトゥードの使い手にして氷を操る魔人能力者、屍骸心(むくろ しん)の兄である。
大変な妹煩悩である戦は、バレンタイン・デーに妹からチョコをもらうため、なんとこの学園へ侵入してきたのだという。
火器・爆発物の扱いに長けた世界的傭兵としての腕前を全力で無駄遣いしているものである。

以前、この学園を舞台としたハルマゲドンが勃発したさいに戦と面識のあった三流は、
校舎の壁を破壊し、現れたと思ったらすぐにどこかへ走り去っていった戦の背中を見送った後、
一応のお礼のために電話で挨拶をしたのであった。
戦が空けた大穴から中庭へと抜けることに成功したためである。

中庭を一通り見渡した三流は、いつものこの時間ならばもっと人の姿が見えるものだけれど、
などと少しだけいぶかしんだ後、

――まあ、好都合ね。

ポジティブシンキングに切り替え、植え込みの陰に高い背を隠しながら、そっと進んでいった。


――中庭――


妃芽薗学園の中庭――西洋の古い町並みを思わせるレンガ造りの校舎にはさまれ、
色とりどりの花や観葉植物が植えられた、静かで、穏やかな空間。
生徒達の憩いの場として設けられたベンチやテーブルが少しだけ傾いた西日を浴びて白く輝いている。

普段ならば、訪れた者が一様に足を止めてため息をつくようなこの優雅な景色は、
一日の授業を終えた少女たちの笑い声や笑顔の花が咲き誇っているのだが、
その日は様子が違っていた。

学生たちはおろか、歌をさえずる鳥の姿もなく、閑散とした空気の中に、
主のいないテーブルとベンチがどこか寂しげに日の光を照り返していた。

果たして、今日に限って人っ子一人いないこの中庭はどうしたことだというのか。
いや、誰もいないわけではなかった。
涼やかな風に乗って、少女の声がふたつ、中庭の中心から発せられていた。

「一先輩、チョコレートを受け取ってもらえますか?」
「これはこれは……有難く頂戴致しますわ、千坂さん」
「ありがとうございます!」
「生憎、私にはお返しに差し上げられる菓子の持ち合わせが御座いませんが」

声の主は生徒会の千坂らちか、そして一八七二三(にのまえ はなつみ)であった。
ふたりは並んでベンチに腰をかけ、チョコレートの受け渡しという、
これぞバレンタイン・デーといった行為をしながら、談笑をしていた。

西日の穏やかな陽光がらちかの白みがかった金髪と、八七二三の花のような笑顔に、迫る春の暖かみを伝え、
レンガ造りの花壇に群れ咲くアネモネが、色鮮やかに少女たちの姿を飾りたてる。
それはきっと、多くの者がその目と、心を奪われるような、美しく、神秘的な光景であった。
……ふたりが周囲に異様なまでの緊張感と、殺気と、ドドドと擬音が聞こえそうな雰囲気をかもし出してさえいなければ。

そう、このふたりこそが、中庭に人がいない元凶であった。

「千坂さんは話題の世界格闘大会をご覧になられまして?
 とても力強い、目にも艶やかな大輪の花々が彩を競われて……実に美しいものです。
 私の親族も出ておりまして、一四一(にのまえ よい)と……」

八七二三が言葉をつむげば、羽を休めていた鳥たちがギャアギャアと鳴き声をあげて四散し……

「もちろん見ていますよ!あの大会ですけど、スタッフに私の友達が混じっているみたいで、
 ときどき、画面の端っこに映っていたりして……」

らちかが言葉を舌に乗せれば、通りかかった少女が涙目になってその場を駈け去り……

「嬉しく存じます……ふふふ」
「こちらこそ……ふふっ」

花ほころぶように、あるいは、屈託なく、
笑いあうふたりの周囲は、無人の荒野となっていた。


――――――


「誰もいない……ラッキーね!」

三流は植え込みの陰を駆け抜け、SLの会ともSGの会とも遭遇することなく、
無事に中庭を通過して寮の前へと到着していた。

ここまで来れば、SLGの会部室へと通じる『隠し通路』は目前である。
あと少し、ここまで来て失敗などしないよう、改めて気を引きしめていこう、と、
決意も固く、三流は静かに、素早く、寮の中へと侵入を果たした。

――そういえばなんで中庭に人がほとんどいなかったんだろう。
――生徒会で見た顔がふたり、仲良くおしゃべりしていたけれど。ほかには誰もいなかったような。

なぜ自分が中庭を誰とも出会うことなく通過できたか、頭の片隅で疑問に思いつつ。


――寮内――


「あれー?鈴木先輩……いたと思ったんだけどなぁ。幻覚まで見えるようになったかなぁ」

ドアの外、廊下から聞こえてくる少女のぼやきに、三流はふう、と胸をなでおろした。

三流が現在いる場所は寮の一室。
世界格闘大会参加者である佐和村静穂(さわむら しずほ)と、静穂の親友である積比良御咲(つみひら みさき)の部屋であった。
大会が継続中の今は人の体温もすっかりと抜けきり、しんとした寒さが満ちるばかりの場所であった。

静穂たちと仲がよく、留守の間、部屋の鍵をあずかっていた三流は、ちょくちょく部屋の掃除にここを訪れていた。
今回は、そのついでに一時身を隠すための場所としても使わせてもらった形だ。

三流は部屋の内部を見回し、ほこりなど積もっていないか、確認をした。
大会参加の際にしっかりと掃除をされていった部屋は小奇麗にまとまっていて、見通しがよい。
それがいっそう、主の帰りを待つばかりの部屋に寒々しさをそえている。

佐和村静穂……両手を常に拘束されており、足技のみで戦う独自の戦闘スタイル『蹴脚特化型我流高速戦闘術』の持ち主。
すばやい身のこなし、足の速さを長所に持ち、相手の攻撃をよけ、カウンターを見舞って倒す。
大会では今のところ目立った活躍をしていないが、がんばって欲しいもの。
……せめて、元気にこの部屋へと戻ってきて欲しい。

三流は友の身を案じた後、廊下から人の気配がなくなったことを確認し、そっと静まりかえった部屋を後にした。


――――――


「あっ!先輩!大丈夫ですか?」
「もうすぐ『隠し通路』につくから、高橋さん、渡葉(わたりば)さんに頼んで開けてもらえる?」
「わかりました!」
「お疲れ様です先輩!」
「ありがとう佐藤さん……あっ」
「どうしました先輩?」
「廊下に猫が……よっと……こんなところでどうしたの?」
「抱っこしてる場合じゃないでしょ先輩ぃぃぃーーー!!!」
「はっ!?そういえば」
「寮の中に猫って明らかに先輩狙いの罠じゃないですかぁぁぁーーー!!!」
「……高橋さん」
「先輩?」
「檻がふってきて……閉じ込められた」
「先輩ぃぃぃーーー!!!」


――――――


「見つけたァァァーーーッ!!!」

SLの会本部から奇声をあげて飛び出した少女がひとり。
頬を紅潮させ、息も荒く、寮へ向けて一心に駈けていった。
その手にはチョコレートの包みと、そして首輪。

「お待たせは致しませんわ鈴木先輩今日こそは私の想いをしっかりとその首に受けていただいてふふふたっぷりと愛でて差し上げますわ私の可愛い可愛い……」

猫と三流をこよなく愛し、両者を猫かわいがりするさまを日がな妄想して過ごすSLの会の切込隊長。
彼女の仕掛けた猫トラップによって、今や三流は身動きを封じられた状態。
三流を愛するがゆえに、三流の行動パターンを予測した見事な罠であった。

彼女の作戦は成った……かに思えたが、

「あ、変態発見」

そのとき不意に発せられた一言と、
直後に発言者から発せられた世界格闘大会参加者、結昨日雷を彷彿とさせる電撃攻撃によって、

「ぎにゃああああぁぁぁぁ!!!!」

あえなくご破算となったのであった。


――――――


「あれ?無事だったの?」

『隠し通路』から顔を出した渡葉美土(わたりば みつち)は、
三流が入口前で待機しているのを見て、特に意外でもなさそうにそう言った。

三流の後方には壊された檻の残骸が散らかっており、
部室に行って荷物を置いたら掃除に戻らないと、などと三流は笑っている。
まあそりゃ檻くらい壊すよね、と美土も笑った。

「ともあれ、お疲れ様」

美土は三流の苦労をねぎらうと、踵を返し、三流を『隠し通路』の中へといざなった。

「私の作った『隠し通路』も役立つものでしょ」
「そうですね。いつも助かってます」
「まあ『勇者』としてのたしなみってやつで」
「どちらかというと『盗賊』のような……」

SLGの会会員に迎えられ、三流は張り詰めていた緊張の糸をほぐし、
和やかに談笑しながら部室へと歩いていった。
三流の顔は、乙女の笑顔を守った達成感と、高橋や佐藤にやっと会える喜びで、自然とほころんでいた。


――――――


SLGの会部室につくと、三流は手に持っていた鞄を開け、中につまっていた物を取り出した。
チョコ、チョコ、チョコ……次々と取り出されるのは、バレンタイン・デーに三流がもらったチョコだ。
部室の机の上は、あっという間にうずたかく積み上げられたチョコに占領されてしまった。

「おーおー、もてる女は大変だねー」
「鞄がいっぱいになっちゃって」

美土の冷やかしに苦笑する三流だが、やはり慕われることは嬉しいのか、笑顔の色が濃い。

「どうせまた外に出たらもらうんでしょ?コソコソしないで最初からもらっちゃえばいいのに?」
「うん……」

話をしていたふたりのもとへ、高橋がペットボトルを持ってやってきた。

「お疲れ様です先輩、はいお茶。――駄目ですよミドさん。先輩、何度言っても聞かないんですから」

三流曰く、誰かからチョコを受けとるときに、自分が他の女の子から受け取ったチョコを持っていると、
どんなにつくろっていても、チョコを渡そうとする少女の笑顔が曇る。
だから、チョコを受けとったら必ず丁寧に鞄の中へしまい、自分がチョコを持っていることを見た目でわからなくする。
鞄がいっぱいになってしまったら、チョコを渡そうとする女の子に会う前に、部室へいって鞄に空きをつくる。

ちょっとの苦労でみんなの笑顔が守れるなら、と、三流は笑った。

今回の三流の逃避行の理由は、それであった。

「イケメンだねー」

美土は笑った。
つられて、三流も、高橋も笑った。

それはある、バレンタイン・デーの物語。
鈴木三流と、三流をとりまく少女たちの、甘く、ほろ苦い、乙女の純情物語。

鈴木三流の流血バレンタイン・デー、第一ラウンド、終了。


――――――


「先輩っ!先輩にお客様が来てますよ」
「私に?」

美土が世界格闘大会を仲間と観戦するからと希望崎学園へ帰ったところで、
佐藤が見慣れぬ人影をひきつれて部室に入ってきた。

つやつやとした黒髪、高い身長、凛々しい表情。
ロングコートに身を包んだその人物は、三流を見てにこりと微笑んだ。

「えっ」

三流はその人物を見た瞬間、固まった。
見慣れぬ?いや、よく見知った人物が、想定外の人物が、そこにいたのだ。
ぽかんと口を開けた三流の反応を見てとったその人物は、柔らかな笑顔から一転、不敵な表情に切りかえると、

「アッハッハ!流石は我が妹!すぐに俺の変装を見破ったようだな!」

呵呵大笑した。
三流の客、それは世界格闘大会参加選手のひとりにして、三流の兄、バリツ使いの迷探偵、鈴木皇帝であった。

「ええっと……なんで?」

ロングコートを脱ぎ、カツラを外している皇帝に向かい、呆然と質問した。
そりゃあ自分の兄が女子校に女装して入ってきたら誰だって驚く。

「ああ!見事な変装だったろう!体のラインを分かりにくくする服装に加え、
 やや身体を斜に構えることで肩幅をせまくみせる、歌舞伎でも使う技法だ。
 探偵たるもの、変装のひとつも出来て当然だからな!」

しかし、三流の疑問をどう解釈したのか、皇帝は明後日の方向に説明をした。

「さっき寮の入口を何やら見張っている子女の子に笑いかけたが、
 男とは全くばれなかったぞ。まあ、なにやら顔を真っ赤にして走り去っていったがな!」

放っておくといつまでも武勇伝を語り続けそうな雰囲気の皇帝であったが、
いやそうじゃなくてここに来た目的を聞いているんだけれど、と三流がその勢いを押しとどめた。
すると、それを聞いた皇帝はとたんに大人しくなり、ううむ、などと一通り唸った後、

「言い出しにくいことなんだがな……」

前置きをして、しばらくまた黙った。

世界格闘大会参加中のはずの皇帝が、どうしてこんな場所にやってきたのか。
思えば、皇帝はつい先日、大会で対戦相手を死に至らしめている。
命を失う可能性があることはお互い覚悟の上での過酷な大会、とはいえ、
覚悟していれば何も感じないかといえば、そんなことは決してない。
何か思うところがあってここに来たのか、まさか出家しようなどと言い出すのではないか、
そんなことをつらつらと考え、固唾を呑んで見守っていた三流であったが、

「すまないが、金を貸してくれないか!」

皇帝の言葉に、思わず倒れそうになった。

その後、皇帝に対して対戦相手を殺しすぎだと叱る三流や、
転校生に関する写真を受けとる皇帝の姿などがSLGの会メンバーにより目撃されているが、
それはまた、別のお話。


――――――


すったもんだのあれやこれや、長い戦いがひとつ終わった三流は、椅子に腰かけて脱力した。
いつにも増して過酷な日であったが、時も、運も、そして人も味方してくれたおかげで、こうして無事に部室へとたどり着けたのだ。
三流は協力してくれた全ての友人に感謝の気持ちをこめ、ありがとう――と、小さくつぶやいた。

そして、目の前の机に山と積まれたチョコを見上げ、当分はチョコ生活ね――と、苦笑した。

「お疲れ様でした。先輩」
「先輩、お疲れ様でしたー!」

そんな三流のもとへ、高橋と佐藤がやってきて、ねぎらいの言葉をかけた。
三流のことを他の誰よりも近くで見てきて、三流のことを他の誰よりも知っているふたり。
毎年、バレンタイン・デーの激闘を見ているふたりは、三流の苦労を、努力を、誰よりも分かっていた。

「はい!先輩にバレンタイン・デーのプレゼントです。甘いものばかりじゃ辛いでしょうから、美味しい紅茶を見つけてきました!」
「ふふっ、ありがとう、佐藤さん」
「私は甘いものの食べすぎで肌荒れしないようにって、スキンケアのクリームです」
「ありがとう、高橋さん」

だからこそ、SLGの会のバレンタイン・デーは、少し変わった贈り物が、贈られる。
貰ったチョコを食べないだとか、誰かにおすそ分けするだとか、三流がそんな事を決してしないと、分かりきっているのだから。

「あー、そういえば先輩、聞いてくださいよ。私、ちょっとまずいんですよ」
「どうしたの?」
「今年はお正月にお餅を食べすぎちゃって、体重が増えて増えて……」
「高橋ってば、がっついてたもんねー」
「花ちゃんもいっぱい食べてたでしょう!」
「ふふふ」
「ああ、えっと、それで先輩、もし良かったら毎朝のジョギングなんか一緒にどうですか?」
「そうね、良さそう」
「ああー!高橋だけずるい!私もっ!」

皆まで言わずとも、思いの伝わるSLGの会。
乙女たちの笑い声は、どこまでも明るく、どこまでも甘やかに、
三流がバレンタイン・デー第二ラウンドに出かけるまで、小さな部室の中を照らし続けた。


――――――


希望崎学園への帰路、
美土は逆立当真(さかだて あたま)の運転するバイクの後ろに小さなお尻をちょこんと乗せ、
その薄い胸を当真の背中に押し当て、そのやせ気味の腰に姦崎絡(かんざき からむ)の腕(?)を絡ませながら、
SLGの会のメンバー達のやり取りや、表情を思い出していた。

「やっぱりさぁー」

そして、誰にともなく言った。

「仲間っていいよねぇー」

当真がひゃっはー?と、絡がうん?と聞き返す。
美土はそんなふたりの反応を気にせず、進路変更!と大きな声で指示を出した。

「股ノ海の部屋まで行くよ!今日は世界格闘大会でいちごちゃんの試合だから目が離せないよねー!」

勇者の号令直下、バイクは颯爽と、上で絡み合うみっつの影を運んでいった。


――――――


「私を笑いに来たのですか……」

風紀委員、黒姫音遠の電撃を喰らい、倒れ伏していたSLの会の少女のもとへ、SGの会の少女が、訪れていた。

「SGの会には風紀委員がいるから、黒姫さんからあなたの話を聞いてやってきんだけど」

SGの会の少女はそう前置くと、目の前の少女の手から首輪を取り上げた。

「これは没収」
「ふん……」
「でも、そっちの包みは、あなたのご自由に」
「……情けをかけるというのですか?」
「……同じ思いを持つ者同士、助けになりたいと思うのは当然じゃない?」
「条約は……」
「『チョコを渡すときはふたりきり』、もちろん守るよ」
「……ふん、礼を言っておきますわ」
「そりゃどうも」

そっけなく、互いに目を合わせることもなく、
それでも、お互いに相手が何を思っているか、理解して、ふたつの影は、別れた。


――――――


そして最後にもうひとつ。

「先輩……」

バレンタイン・デーの全ての激闘を終え、落ちかけた西日の差し込む部室で、高橋は三流に声をかけた。
椅子に座ってPCへと向かっていた三流は作業を中断し、どうしたの、と首を高橋のほうへと向けた。

「……あの、これを」

高橋はしばしの逡巡の後、手に持っていた包みを、三流へと差し出した。
そんな様子を見た三流は立ち上がり、包みを受け取ると、高橋の顔をまっすぐに見据えて、笑いかけた。

「ありがとう、高橋さん。――嬉しい」
「あの……甘さは控えめにしてあるんで……」

それは妃芽薗学園バレンタイン・デーの新たな一頁。

『鈴木三流を愛でる会』通称SLの会と、
『鈴木三流を守る会』通称SGの会と、
そして、鈴木三流率いるSLGの会との、甘く、ほろ苦い、乙女たちの物語。


<終>


―――おまけ―――


「それで、どうだったんですか?数ヶ月早く世界格闘大会が開催された平行世界は!」

大会運営の日雇い少女は、目の前の友人、月読十萌(つくよみ ともえ)に食いつくように聞いた。
十萌はそんな少女の様子に上体を少しそらし、苦笑しながらも律儀に答えた……ややピントのずれた答えを。

「えーっと、何だかだいぶ盛り上がっていて、皆で噂していて、
 バレンタインが大変で、あと、そう!SLGの会の初期メンバーって子が揃ってたよ!
 私がこっちの世界で妃芽薗に行ったときは会わなかったけど……」

「SLGの会って、十萌ちゃんがすごいお世話になったっていう……じゃなくて!
 大会の結果ですよ!誰が優勝したんです!?リタイアの状況は!?」

どこかのほほんとした十萌に、少女は目を爛々と光らせて詰め寄った。
聞きたいことはそれじゃない!そう息巻いた。
それに対し、十萌は不意に表情を曇らせ、ばつの悪そうに目線を逸らし、ぽつりと言った。

「まだ大会が中盤頃の世界に行っちゃったから……わからなかったの……」

十萌の答えに少女はがくり、と頭をたれた。
何をやってもむくわれない、月読十萌の萌ポイント全力発揮というわけだ。

しばしの沈黙の後――

少女は、仕方ないですねぇ、とつぶやいた。

「まあ、結果を楽しみに待てってことですね」
「そうそう、先に答えだけ知ったって楽しくないよ!」
「いや、こう、隣の世界の結果を覆す素敵イベントを色々とですね……」
「えー……」

ふたりの少女の笑い声が辺りに響く。
ふと、その笑い声に、どこかで聞き覚えのある笑い声が重なって聞こえたように、十萌には感じられた。
きっと、隣の世界でも、あの仲良しの少女たちが、自分たちと同じように、笑いあっているのであろう。