仲酔しこよし、夢を結び、社の夢の話を結ぶ。


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『むぅっ……あれは……。懐かしき顔を思わぬ場所で見かけたものだ』

希望崎学園の一角、生徒達に忘れ去られたかのように手の入れられた気配のない小さな池のほとりにある、
朽ちかけたベンチに座り、周囲に咲く梅の花を眺める龍神(たつがみ)ひとみの姿を見たイザナギが、そう呟いた。

「懐かしい顔、ですか?」

夢結(ゆめゆい)やしろがその言葉を聞いて、小首を傾げた。
イザナギは腕を組み、力強く頷いた。

『うむ。あれに宿るはヤマタノオロチの神霊。久闊を叙する良き機会。声を掛けようではないか』

「ヤマタノオロチさん、ですか。えっと、分かりました」

やしろはひとみの姿を改めて確認し、相手が聖杯ハルマゲドンにて同陣営の味方である事、
味方であるならば、今のうちに親睦を深めておくのも良いだろうという事を考え、イザナギの意見を了承した。

季節はもうすぐ春を迎える頃合。時折、暖かみのある風が吹き抜けて、池の濁った水面を波立たせた。
やしろはイザナギと会話しつつ、ゆっくりとひとみの座るベンチへと近づいた。
近づく人の気配に気付き、ひとみがやしろの方へと顔を向けた。
ふたりの視線がぶつかり、目の前の相手を認めたひとみは、相好を崩して挨拶をした。

「ああ……お久しぶりです。無音です。――さん」

ひとみが告げた名は、一陣の風に吹かれ、やしろの耳に届く事はなかった。


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『その節は我が愚息が迷惑をかけた……全く、あの乱暴者には昔から手を焼かされて……』

【あの様な謀略には二度と乗らん……が、しかしこの酒は美味いな】

『桃を醸した果実酒でな、この依代は幾らでも桃を作る事の出来る体をしている。遠慮はいらぬから存分に呑まれよ』

【む、む……これで美味い人間のひとりでもつまみにあれば良いのだが……近頃は人の数も減って……】

『ああ、それは我が妻のせいだな。あれは性格が苛烈でな……以前、喧嘩をした折に、この国の民草を毎日殺す呪いをだな……』

「なんとも……物騒な話題ですわね」

「神様同士の会話ですからねぇ……」

やしろとひとみが挨拶を交わしてから一時間。
イザナギの、ヤマタノオロチは酒好きであったな、という一言が元となり、
気付けば、池のほとりのベンチは酒宴の席となっていた。

時節は冬の終わり。池のほとりには梅の花が咲き誇り、桃の木にもちらほらと色が宿る。
濁った池の水面は鏡の様に、群れ咲く花の下で酒を酌み交わす、ふたりの少女を映していた。

神々の話は神代の時から話題が尽きず、途切れず、ふたりの頭上で交わされる。
交わす酒もまた、尽きず、途切れず、ふたりの手元を行き来する。
酒は、やしろが桃を取り出し、それをイザナギが神力によって醸す、二段構えで次々に作る事で、底を知らない。
やしろとひとみ、互いに相手へお酌をし合い、今やその身に宿る神霊もろとも、すっかり出来上がっていた。

『そなたも大した業物をお持ちのようだな。我が太刀、天之尾羽張に勝るとも劣らぬ……』

【羽々(大蛇)斬だと!?縁起でもない!】

『いやいやハバキリではない、オハバリと言ってだな……』

「まあ、皆さん、仲良くなるのは良いことですわね。慶事ですわね」

「みんな仲良く!いいですねぇ!あ、ひとみちゃん、どうぞもう一杯」

ふたりと二柱、池のほとりで談笑するは、完全に酔っ払いの集団と化していた。
しかし、酔っ払いと化してはいたが、互いに笑いあうその表情を見るに、当初の目的、親睦の深め合いは達成されたようだ。

暖かい風が、梅の花弁をひとひら巻き上げ、少女達の笑顔が映る銀色の鏡に、小さな、白い彩を添えた。


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「それで……夢結さんは、愛する人の事を覚えていない、と……」

「ひとみちゃんの話では1000年前にヒントがありそうなんですけれど……」

「愛する人の顔や、名前は?」

「……」

「それでは、何か思い出などは、追想などはないでしょうか?」

「……何か、ある……はずなんですけど……」

「ほとんど思い出せない。そういうわけですね」

「……愛してるんです。それだけは忘れられないのに……やっぱり……そんなの変ですかね?」

「いいえ、そんなことはありません」

「そう……かな」

「愛する人の事を1割も覚えていなくとも、
 愛する人との思い出を9割忘れていようとも、
 貴女の心は10割、その方を愛している。それだけで充分ですわ。十全ですわ」
 
「……ひとみちゃんっ!」

「あ、そんな勢いよく抱きつかれては……」


――ぼっちゃーん。


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梅の花弁をはらはらと乗せた春先の風が吹き抜け、龍神ひとみの長い黒髪をさらりと流した。
風が止み、揺らいでいた池の水面が再び静かに、花の下に立つひとみと夢結やしろを映した。
やしろに笑いかけながら、手をやり、風に乱れた髪を撫でるひとみに対し、やしろも微笑んだ。

「はじめまして。龍神ひとみさん……ですよね。夢結やしろと申します」

やしろの笑顔に、ひとみは軽く、首を傾げた。
肩にかかっていた黒髪がさらさらと背中へ流れた。

「まあ……そうですわね。当然ですわね。千年……生きてらっしゃるはずもなし」

「えっ」

「いえ、貴女を昔、お見かけした気が致しまして……お忘れ下さい。放念下さい。
 はじめまして。夢結やしろさん。ええ、私は龍神ひとみです」


――――――


時刻は既に夜半。場所は迷宮と化した3000年代の番長小屋。
その中を最上階目指し、ひとみとやしろは手を繋ぎ、ペン型ライトの明かりを頼りに進んでいた。

別れ道にぶつかり、ひとみが右を、やしろが左の通路の奥を窺った。
互いの手がかすかに引っ張られ、その感触にやしろが相好を崩し、ひとみに話しかけた。

「昔は……こうして愛する人といつも触れ合っていたような……そんな気がします」

やしろの言葉に、ひとみも微笑み返した。
進路を定め、再びふたり並んで歩を進めながら、やしろは言葉を続けた。

「その……ひとみちゃんのお友達で、昔、私に似た人とよく遊んでいたって人の話、また聞かせてもらえますか」

「名前は寅貝きつねさんと仰いまして……」

1000年の昔を偲び、ひとみは眼前に広がる闇の中に去りし日の風景を見た。

「良い人でした。素敵な方でした」

ふたりの会話は、静かな番長小屋の闇の中へ溶けていった。


――――――


「ご、ごめんなさいっ!」

番長陣営のアジトにて、艶やかな黒髪(?)の束を手に抱えながら、やしろは大慌てで藺草玲央那に謝っていた。

「いや、もう謝らなくとも良いよ。ちんこだって突然勃起する。
 意思を持った存在なら突然怒りたくなる事だってあるさ」

なんということはないと笑う玲央那と、

( ( ( そのフォローの仕方はどうなんだ…… ) ) )

それを無言で見守る玉環、ケイティー、諸葉芽衣子。
部屋の空気は、なんとも言えぬ混沌の様相を呈していた。


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『ふむ……的を射抜くなど、己が手指さえあれば事足りように』

番長小屋の中の一室。弓道場。
弓の弦を引こうと悪戦苦闘するやしろと、それを微笑ましげに見ながら指導する一与須那。
そんな光景を眺めながら、伊邪那岐は呟いた。

『我が神力を使えば放った矢は過たず目標を射抜く。
 我が愛娘に持たせた天之波波矢など、高天原から投げただけで下界の的を確りと捉えたものだ』

弓の持ち方を何度か調整し、昔はもっと力持ちだった気がするんですけどなどと須那に笑い、
一息ついたやしろは、伊邪那岐に向き直り言った。

「あのですねイザナギさん。イザナギさん基準で話をされても困るんですよ。
 だってイザナギさん、矛で海を一刺しするだけで島作っちゃうレベルじゃないですか。
 それ、矛の使い方じゃないですから。矢だって普通は弓で放つものですから」

それに、とやしろは改めて須那へと顔を向けた。

「手で投げるより、弓で射る方が格好良いじゃないですか。……ね?」

やしろの言葉に、須那も笑って首肯した。



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はらはらと舞い落ちる梅の花弁が、横たわる夢結やしろの黒髪にひとひら、流れた。
シュッ――圧縮空気の漏れる音が、静けさに満たされた空気を震わせた。
目を閉じるやしろの額に添えられた金属製の無骨な手が引かれた音だ。

「どんな感じだった?」

膝を付き、やしろを抱えていたパワードスーツ姿の人型が、がしゃがしゃと立ち上がり、
関節の駆動音と共に、その鉄仮面を、己に声を掛けた相手へと向けた。

「皆さんと仲良くやっていたようです」

空気圧とモーターによって駆動する人形が、合成音声で答えた。
その答えに、質問者は良かったよかった、と満足気に頷いた。

「なんだかんだ言って、社(やしろ)の一部だもんね。皆と仲良くなれるよ」

その言葉に、横で遣り取りを見守っていたもうひとりがそうですか?と呟いた。

「社さんって結構暴走しますし、ご主人様以外の事はかなり大雑把ですし……」

パワードスーツが腕を組み、呟いた相手へ失敬な、と返した。
だってですよ、と威圧的に構える人型の鉄塊に対して、もうひとりは言葉を続けた。

「人型は意志が宿りやすいのも、目的を持って作られたものは目的遂行の意志を持つのも、
 付喪神の基本じゃないですか。そもそも社さん自身が付喪神だっていうのに……。
 あんな物……あ、あんな物なんて言うのも失礼ですけれど、
 あれを作ったまま放置してたりとか、勝手に付喪神になっちゃったなんて言って、
 しかも強力な神霊が宿ってしまって自分の制御から外れちゃったとか、あんまりにも……」

これはこれは、と合成音声が遮った。

「流石は1000年を生きた古代竜。エンシェントドラゴン様は何事にもお詳しい。
 希望崎の地下でモヒカンザコに追われて泣いていた頃が嘘のようにご立派になられて」

「社さんそれ使って喋れるようになってからどんどん幼児化してません?」

「何度も怪我したり死亡したりする度にご主人様に心配を掛けて、私が治療していた頃が懐かしい。
 そういえば人に化生出来るようになったばかりの頃は……」

「ごめんなさい本当に恥ずかしくなってきたんでやめてくださいごめんなさい」

あはは、とふたりの言い合いを見ていた人影が笑い声をあげた。
その笑い声が、ふたりの鍔迫り合いを優しく止めた。
笑った人物はしょぼくれている方の背後に歩み寄るとその首に手を回し、肩に顎を置いてよしよし、と宥めた。
その様子を見て、パワードスーツの方も失礼致しました、と合成音声で謝罪した。

「そうそう、皆仲良く!仲良き事は美しきかなってね!」

にこにこと笑う相手に、パワードスーツは姿勢を正し、一礼した。
その背後に、桃の花弁が渦を巻いて浮き上がり、相手の手の中へ、桃色の花束となって収まった。

「お騒がせしましたお詫びに、受け取って下さい。回収作業は終わりました」

花束に目を細め、ありがとうと笑った人物は、

「それじゃあ帰ろっか」

花を日の光に翳し、楽しげに言った。
ふたつの人影はその言葉に従い、主人と共にその場を後にした。

「この花はどんな風に皆と仲良くしてたのー?」

「そうですね、道々お話致しましょう」

「あの、ご主人様、もう大丈夫ですから、離して頂いても……」

舞い散る梅の花道の下、三種類の声音が、交じり合いながら、何処かへと遠ざかっていった。



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「ご、ごめんなさい、びしょびしょに……」

「どうかお顔を上げてください。私は気にしておりません。問題ありません」

「だ、大丈夫ですか?」

「ええ、だいじょう――ッ!?」

「危ないっ!」

「……あ、ありがとうございます。感謝します」

「濡れた着物は足を取られやすいですから……あれ?」

「?」

「私……龍神さんと手を繋いでも大丈夫だ……」

「手を繋いでも大丈夫……?仰る意味が……」

「あ、その、私、身体を他人に触られると普段なら拒否反応といいますか、とにかく人との触れ合いが苦手なんですが……」

「それは……ああ、分かりました。理解しました。きっと、私のコミュ力の為です」

「コミュ力?」

「皆さんと仲良くなる力、親近する力です」

「……コミュ力」

「はい」

「……よく、わかりませんが……あの、龍神さん」

「はい、なんでしょうか?」

「ええと……言い出すのも恥ずかしいのですが……」

「遠慮なさらないで下さい。お聞きします。謹聴します」

「あの……これからも、どうか……仲良く、宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しくお願いします。念願します」



仲酔しこよし、夢を結び、社の夢の話を結ぶ。<終>