太陽光を受けて白く照る、舗装された坂を上り切った突き当たりに突然現れる厳しい土塀と巨大な木製の門。
その門の下、日陰になった一角で、ふたりの少女が身を寄せ合って言葉を交し合っている。

「今日はどうしたんですか?」
「うん……ちょっと、ね」

2月にしては春めいた、暖かく穏やかな日。
夢追の家に突然やってきたのは、いつもの勢いを抑え、歯切れの悪い返事……というか、
どこか恥ずかしげな声と表情の埴井葦菜であった。

「あの、さ」
「はい。なんでしょう」
「アンタ、料理が得意だったわよね?」
「はい。あ、鍋パーティでもします?」
「や……そうじゃなくって……ええと、お菓子なんかも作れたわよね?」
「ええ。はい。甘味は好物ですし、色々作ってますよ」
「その、さ」
「はい」
「あたしに……その、お菓子の作り方を……その…………教えなさいっ!」


埴井葦菜のバレンタイン前夜・すっごく真面目にお料理SS

母屋の土間はひんやりとした見た目の三和土に似合わず、囲炉裏と竈の発する熱で暖かな空間となっていた。
すぐに材料を用意しますからと言って、夢追は広い土間の中をあちらこちらと動き回っている。
地面に直接掘られた囲炉裏で赤く光る炭や、天井を縦横に走る太い梁を見やりながら、葦菜は準備が整うのを待った。

――明日はいよいよバレンタイン・デー
――女の子が、好きな男の子へ、チョコレートを贈る日
――せっかくの日なのだから、少しくらい自分の気持ちに素直になっても

「……じゃないっ!!」
「はいっ!?」

土間に渡された式台に腰掛けていた葦菜の突然の大声に、夢追がびくりと肩を震わせて振り返る。
その様子を見て、思わず声が漏れていたことに気付いた葦菜は慌てて取り繕うように言葉を並べる。

「いや、違うからね!別にあたしはあいつのことなんてどうとも思ってないから!」
「はい?」
「これは、そう!せめてもの情けってやつよ!
 ほら、いくらどうってことない奴だって、あんまり惨めな顔されてちゃこっちだってたまらないでしょ!」
「ええ?」
「いや、だから、ええと……ああっ、もうっ!準備はできたの!?」
「え、あ、はい。揃いましたので……じゃ、じゃあ、はじめ……ましょうか?」
「誰が『はじめ』のことだなんて言ったのよ!」
「ええー!?」


・本日のお料理レシピ……チョコクッキー

――前準備――


火がくべられ、ごうごうと熱気を吐く竈の横に菓子作りの材料を並べ、
割烹着を身に着けた葦菜は、今――乙女の戦場へと立った。
葦菜は目の前の材料を裂帛の気合と共に見据える。
小麦粉、卵、バター、砂糖、塩、ココアパウダー、何やら黒くて細長いしわしわの物体……何これ?

「ねえ、この黒いやつ、何これ?」

葦菜の疑問に、ああ、と夢追が笑う。

「それがバニラビーンズですよ。お菓子の香り付けに使うやつです」
「へぇー。バニラってこんな見た目してたんだ」
「そのさやをスパッと切ると中に小さなつぶつぶがぎっしり詰まってるんです。
 それをお菓子に混ぜれば美味しそうな香りになりますよ!」

初めて目にするバニラビーンズを、葦菜は興味深そうに見つめる。

「お菓子の香り付けってなんか、小瓶に入ったやつ?を垂らしてするもんだと思っていたけど……わ、べたべた」
「それはバニラエッセンスですね。
 あれもお手軽でいいですけど、せっかく手作りするんですから、少しくらい凝りたいじゃないですか」
「そりゃあどうせ作るなら目立つようなものがいいけど。でもそれならなんでクッキーなのよ?それこそ平凡じゃない」
「いやあ、凝りすぎてもお菓子作りは失敗しますから。
 クッキーは炭にさえしなければ美味しくできるってくらい失敗しにくいんですよ」
「なんかあたしが見くびられてるような気がするわね……」
「いえいえ、葦菜ちゃんもどうせ作るなら美味しいものが作りたいでしょう?」
「……そうね」

これから作るお菓子と、それを手渡しする自分の姿、そして受け取る相手の姿を思い浮かべ――

「でもさ、もう少し派手というか、こう、いい感じに工夫できないもん?」

美味しいものもいいけれど、やっぱり何か特別さが欲しい、そんな思いに天秤が傾いた。
ちょっぴり見栄を張りたいお年頃の葦菜であった。
そんな葦菜の心意気を汲んでか、夢追もそうですねぇと唸って考え込む。
葦菜も考える。
せっかく手作りをするのだ、何か自分らしさが欲しいじゃないか――
料理作りに失敗する者の典型的思考であるが、乙女心に野暮というものである。
自分らしさ……自分らしさ……ああ。
暫く悩んだ葦菜であったが、ふとひらめくものがあった。

「ねえ、クッキーって縞模様にできるわよね?」
「はい、できますよ?」
「これさ、半分をココアで黒くして、もう半分を黄色くできない?」

葦菜の言葉に、おお!と夢追も手を打つ。

「蜂色ですか!実に葦菜ちゃんっぽくていいですね!黄色ならクチナシがありますからいけますよ!」

盛り上がる夢追を見て、葦菜も力強く頷いた。
これで作るものは決まった!待っていろよクッキー!そして……なんでもないっ!!

――生地作り――


完成形の相談をしている間にバターもすっかり室温で柔らかくなり、準備は万端である。
葦菜は夢追の指示に従いながら、卵をとき、またバターと塩と砂糖を混ぜてクリーム状の生地を作る。

「ココアはどうするの?」
「そちらの薄力……小麦粉に、そっちの半分に混ぜておいてください。後で練ったバターと混ぜますので」

夢追は葦菜に指示を出しつつ、自分でもクッキー生地を作る。
……こっそり、葦菜のといた卵の中から殻の破片を取り除くのも忘れない。
バターと砂糖と塩がクリーム状に仕上がったら、続いてといた卵を混ぜてさらに練る。

「練りあがったらいよいよ小麦粉を混ぜる作業ですけど、ここが大事ですからね」
「そうなの?分量の調節とか?」
「ええと、まあそれは確かに大事ですが、予め調節して準備しましたからそこはご心配なく」
「ふーん?じゃあ何が大事なのよ」
「小麦粉とバターを混ぜるときに、どれくらい生地を練るかで焼き上がりのクッキーの硬さが変わるんですよ」
「へぇー」
「硬いクッキーがお好みでしたらうりゃーってくらい練ってしまっていいですし、
 サクッとした口当たりがお好みでしたら小麦粉の白い粉が生地に混ざりきっていないくらいでいいんですよ」
「ふーん」
「焼くときにいくらか焦がしてしまってもいいように材料は多めに用意しましたから、どうせなら色々試します?」
「そうね!」

練った生地をいくつかに小分けし、小麦粉を振り掛けつつ、さくさくと生地を混ぜ込んでいく。
粉雪がまぶされているかのような白っぽいままの生地から、徐々によく練った生地も作っていく。
ボウルと作業台がごとごとと音を立て、土間にリズミカルな音がしばし響く。

生地を混ぜながら葦菜は再び考える。
この生地を焼き上げ、出来上がったクッキー。綺麗にラッピングし、そっとかばんの奥にしまう自分。
教科書や筆箱を囲いのようにして、うっかりクッキーが割れないように注意して……
気恥ずかしいから、誰にも見られないようその上にハンカチを乗せて隠して……
朝、バレンタイン・デーに浮かれるあいつを眺め、
放課後、がっかりして家に帰ろうとする丸まった背中を呼び止めるのだ。

本当にそんながっかりしちゃって、見てらんないんだから。仕方ないわね。ほら――

「葦菜ちゃん?」
「ひゃあ!?」
「……そろそろ生地を合わせて模様を作りますよ?」
「わ、わかってるわよ!」

黄色と黒の生地は、硬さを合わせた生地同士、綺麗にしっかりくっつき合った。

――焼き上げ――


炭を綺麗に並べた竈の中へクッキー生地を並べた鉄板を入れ、夢追と葦菜はふうと息をついた。
それほど重労働だったわけではない、むしろ戦闘系で肉体を鍛えている魔人である葦菜にとってはごく軽い作業であった。
しかし、それがお菓子作りという慣れない作業であり、
かつ、どうしても心を傾けてしまう作業とあれば、それなりに疲労するのもやむかたなしである。

「お疲れ様でした。後は焼き上がりを待つだけです」
「はーっ!やっと終わったわね!」

囲炉裏のそばの式台にふたり並んで腰を掛け、互いに苦労を労いあう。
葦菜は両手を後ろに付き、ああーと声をこぼしながら天井を向いて脱力した。
夢追はしばらく葦菜の脱力しきった顔をにこにこと眺めていたが、やがて一層笑みを深めると、顔を寄せ、

「それで、葦菜ちゃんは誰に渡すんですか?バレンタイン・デーのお菓子、ですよね?これ」
「んなっ!?」

葦菜を一気に現実へと引き戻した。
間の抜けた声を発した葦菜は見る見る顔を赤くしつつ、何を言ったものか、口をぱくぱくとさせる。
えへへ、と夢追は笑い、

「気付いていないとお思いでしたか?明日は女の子の一大イベントの日ですよ!気付かないわけないじゃないですか!」

してやったりという表情で葦菜を見ている。
うぐぐともうぎぎともつかない唸り声をあげた後、観念したのか、ふん!と鼻息荒く、葦菜は腕を組み言い放った。

「勘違いしないでよね!バレンタイン・デーにお菓子をあげるなんて、まさに目立てる行動じゃない!」

ちっとも観念していなかった。

「そういうアンタはどうなのよ!アンタもクッキー焼いてたけど、誰かにあげるんでしょ!」

なんとか話を逸らそうと、葦菜は話題の矛先を夢追へと向ける。
しかし、夢追は特に慌てもせず、そりゃあお世話になっているみんなにあげますよ、などと平然と答えた。

「夏頃の抗争で仲良くなったみんなにはしっかりお礼の気持ちを込めてと考えていますから」
「あ、そう。ふーん」
「緑風君とか、五郎丸君、紫野君、左高君に……」
「クッキー足りないんじゃないの?」
「あと一君に……」
「!」
「……」
「……」
「一君に」
「!」
「……」
「……」

パチパチと、囲炉裏の炭が音を立て、どこか懐かしい、木の焼ける匂いを辺りに散らす。
気付けば、その匂いに混じって、甘く香ばしい匂いもまた、竈から立ち上り始めていた。

「……葦菜ちゃん」
「……なによ」
「応援しますよ!」
「うっさーーい!!!」

――完成。或は予定調和――


「おー!美味しそうに出来たー!」
「……」
「葦菜ちゃん、そっちはどうですか?」
「……」
「……」
「……」
「え、えーと……」
「なによ……」
「……」
「……」
「ダークマター?」
「……」
「……おんなじ手順でつくりました……よね」
「……」
「……あの」
「うるさいうるさいうるさーーーい!!!」

靴を放り出し、式台から床の上へと飛び込み、もつれ合って転げまわる二人の少女。
竈からくゆる焼き菓子の香りとこの光景と、果たしてどちらが甘美な調べであろうか。
乙女たちの聖戦は気高く、清く、バレンタインへと続いて往く――。