約束

ハルマゲドン開戦を目前に控え、静まり返った希望崎学園校舎内。
殺伐とした緊張感が立ち込めるそんな場所を、並んで歩くふたつの人影。
大量の缶を抱えた眼鏡少女と和服の袖を揺らす黒髪少女。
希望崎学園番長、逆砧れたいたぷた。
希望崎学園部外者、夢追中。

この物語は、周囲の張り詰めた空気など気にも留めずに緩い雰囲気を撒き散らす二人の、
ゆとりGKダンゲロス・ハルマゲドン開戦前に行われた最後のやり取りを記したものである。


――忘れ得ぬ感触――


「私も半分、缶をお持ちしますよ」

「いえ、一人で持てますから。これでも体は丈夫なんですよ」

逆砧は夢追とそんな他愛もない会話をしながら、廊下を歩いていた。
逆砧は番長としてグループメンバーの飲み物を買いに自販機へとやってきて、
そこに居合わせた夢追が私も一緒に番長グループの所へ行きますと言いだし、
その結果、こうして二人並んで歩いているという状況が生まれたわけである。

「突撃インタビューの件がうやむやになっていましたし、今度こそはやっちゃいましょう!
 ……それでも有力情報が得られなければ……えーと……私も覚悟を決めて……ゴニョゴニョ」

「あ、そういえばそうでしたね。私のこと、気にかけてくれてありがとうございます」

夢追の言葉に、逆砧は軽く微笑み、お礼を返す。――と同時に、
夢追との間にインタビューの話が出た際の騒動を思い出し、逆砧も不意に頬を染めた。
そもそも初対面で教育上よろしくない部位を撫でてしまったというのに、その上、
あの時は自分の能力が原因で酷い揉み合いになってしまったのであった。かなり揉み合った。

「その、あのときはあんなことをしてしまって……ごめんなさい」

逆砧の指は女の子を見ると何かの衝動を吐き出すかのように蠢くという癖(?)がある。
逆砧の能力によってモヒカンや触手の属性を付与された夢追に押し倒されたあの時、
抑えきれぬ内なる衝動によって数秒の間に行ってしまった数々の行為を脳裏に浮かべ、
赤面しつつも謝罪を述べた逆砧に対し、

「いえそんな謝られなくてもいいですよ!なんだか凄く気持ちよかったですし!」

夢追がとんでもない発言を返してきた。

「えっ!?き、気持ち!?」

思わず抱えた缶を周囲にぶちまけそうになる逆砧。
なんとか堪えたものの、思わぬ返答に茹だる脳内は抑えようもない。
どうしよう、私はひとりのいたいけな少女の道を踏み誤らせてしまったのだろうか。
足を止め、夢追の顔をまじまじと見つめ返し、
悶々とあらぬ妄想で脳内にお花畑を形成する逆砧に対し、
爆弾発言を放ってなお笑顔を向ける夢追は言った。

「こう、モヒカン的思考っていうんですか?頭の中がからっぽになったような、
 自分が色々なものに変身したような、スカッと爽快で凄く心が沸き立つような感じでした!
 凄かったです!凄い体験ができました!逆砧さんの能力!リバティー・ヒルでしたっけ!」

――能力の話かよ!

逆砧は盛大にずっこけた。手に持つ缶も盛大にぶちまけた。


――忘れ得ぬ夢――


「大丈夫ですか!?」

そう、差し伸べられた手を見て――
尻餅をついた逆砧はその手を握ろうと自分の手を伸ばし――
手と手が触れ合うその直前に、不意に逆砧は硬直したように動きを止めた。

「?」

少しだけ不思議そうな表情を浮かべ、それでも差し出した手をそのままにする夢追。
そんな夢追を見返しながら、なぜ自分は動きを止めたのか分からず、逆砧は首を捻る。
何か自分は大切なことを忘れているような、いや記憶喪失なのだから当然なのだが、
何か手を握るという行為に特別な思い入れがあったような――
逆砧の頭に、形の見えぬ、捉え所のない思いがちらついては消えていく。

「ひっぱりますよー」

そんな逆砧の中空で固まった手を、暢気な声と共に夢追がすっと握った。
はっと我に返った逆砧は、自分の体が引き起こされたこと、
そして自分の手が夢追の手に握られ、互いの体温を相手に伝え合っていることを実感し――

「えっ!?逆砧さん!?だ、大丈夫ですか!?何処か傷めました!?」

ほろり、涙が零れていた。

「え……あ、これは、違うんです……痛いとかじゃなくて……
 ど、どうしよう……す、すみません……すみません……」

慌てて眼鏡をずらし、涙を拭おうとする逆砧であったが、
溢れる涙と正体の知れない情動は収まらない。
突然目の前の相手に泣き出された夢追は大いに慌てふためき、
なんとかしようと必死に頭を働かせ、人を泣き止ませる手段を記憶の中から探り、

「し、失礼しますっ!」

がばっと逆砧の体を抱き締めた。

「ゆ、夢追さん!?」

「そ、そのですね、私も涙が止まらないことって、何度もあって、それで、
 そんなときに師匠……あ、私の面倒を見てくれている人が、ぎゅっと抱き締めてくれて、
 それで、私は泣き止むことができて……
 あ、あの、私じゃちょっと包み込むみたいにとか、できませんし、
 あ、いや、それよりも私じゃ力不足かもしれませんけれど、
 えーと……そう!逆砧さんがご自身に能力で妹属性を付与すれば恥ずかしくないですよ!」

恥ずかしいのか緊張しているのか、はたまた突然の事態に混乱しているのか、
真っ赤になりながら早口でまくしたてる夢追の声を聞きながら、
早鐘のように鳴っている夢追の鼓動を自分の胸に感じながら――
気付けば、逆砧の涙は止まっていた。

「夢追さん……ありがとうございます」

「い、いえ!どういたしまして!」

夢追の背中に手を回し、お礼を述べる逆砧。それに応える夢追。
抱き合ったまま、二人は言葉を交わす。

「思い出せませんが……何だか一つ、夢追さんのお陰で夢が叶った気がするんです」

「えっと……それは、どうも?」

思い出すことは出来ずとも、忘れることの出来ない夢が自分にはあった。
それが思わず形になって、溢れて溶けた。きっとこれはそんなことなんだ。
逆砧は夢追の肩の上で残った涙を拭い去った。

しばし、無言で抱き合う形となった二人であるが、おもむろに逆砧が口を開く。

「あの……もう、大丈夫ですので」

「本当に大丈夫ですか?」

「はい……と言いますか、あの、そろそろ手が我慢の限界で……」

「ひゃあああ!?」


――忘れ得ぬ約束――


廊下に散らばった缶を二人で手分けして集める逆砧と夢追。
半分持ちますよ、と夢追が言い、それじゃあお願いします、と逆砧が笑顔で応える。

「さあ、それじゃあ今度こそ突撃インタビューですね!」

持ちやすいようにと缶を積み重ねながら、そう意気込む夢追を見て、
同じく缶を積み重ねていた逆砧は、ふとその手を止めて、表情に影を落とした。

「夢追さん……やっぱり、私、インタビューは……」

逆砧の様子に気付いた夢追はいぶかしげな表情を浮かべ、どうかしたのかと逆砧に訊ねた。

「私……番長グループのみなさんからとても良くしてもらってますし、
 蛇淵さんや一さんともお友達になれましたし……、
 自分の正体は……確かに気になるんですけれど、やっぱり怖いんです。
 手の癖もそうですし、お前は危険だっていう言葉も……
 それに、さっきみたいに、自分が覚えてもいないことで自分の心が動くのを実感すると、
 ……自分にも本当に過去があったんだって実感すると……怖いんです」

怯えるような表情で、かすかに震えながらそう心情を吐露する逆砧を見て、
夢追は何も言えず、ただ黙ってその言葉に耳を傾けていた。
が――

「あっ!」

突如、黙っていた夢追が声をあげ、

「ど、どうかしました?」

逆砧もそれに驚いて反応した。
夢追は慌てて立ち上がると、逆砧にいきなりすみませんと一言詫びを入れた。

「社が今、探していた女の子を見つけたそうです!
 ただ、見た目が見た目なので逃げられてしまっているそうで、私がちょっとそこへ……
 ああ、あっちの社は今転送能力が使えないんだっけ……ちょっと行ってきます!」

ついに探し人を見つけたと聞き、うだうだしている場合ではないと気持ちを切り替え、
逆砧も立ち上がる。一度人探しの手伝いを頼まれた身であるからには目的を果たさなければ。

「校舎内なら私のほうが詳しいですから、どんな場所か言ってもらえれば案内します!」

逆砧の提案に、ありがとうございますと笑顔で返し、探し人の居る場所の様子を伝える夢追。
そこならこっちが近道です、急ぎましょうと駆け出す逆砧。
しかし、

「あ、すみません!この格好だと……走り辛くて……」

和装の夢追がやや出遅れる。
そんな夢追を見て、逆砧は少しの逡巡をした後――その手を握り、一緒に走り出した。

「わあ……あ、ありがとうございます!」

もう涙は出ない。
代わりに、ふわり、笑顔が零れた。


――――――


ハルマゲドン開戦を目前に控え、静まり返った希望崎学園校舎内。
殺伐とした緊張感が立ち込めるそんな場所を、並んで走るふたつの人影。
素朴な風貌の眼鏡少女と和服の裾をはためかす黒髪少女。
ふたつの影は、お互いの手でひとつに結ばれ、颯爽と駆けて行く。
その遠ざかり行く人影から声が聞こえる。

「私は、逆砧さんの正体がなんであろうと、きっとお友達になれると思います!
 逆砧さんなら、過去がどんなものであろうと、間違いなく、優しい人ですよ!
 だから、約束します!私は逆砧さんが過去を思い出しても、必ず友達になります!
 ……そうだ!逆砧さんにひとつ、伝えることがあるんです!
 逆砧さんの名前のことで……もしかしたら、これで呪いが解けるかも……!
 あの……ちょっと口に出すのが恥ずかしいんですけれど……たぶん…………」

言葉を交わす二人は廊下の角を曲がり、見えなくなる。
最後に見えた二人の横顔は、眩しいほどの笑顔であった。


――――――


……その後、二人の間に何が起こったのか、いかなるやり取りが為されたのか。
逆砧の呪いは解かれたのか。抗争中の希望崎学園に迷い込んだ少女は助け出されたのか。
残念ながら、それらを語る資料は残されていない。

直後に開戦したであろうハルマゲドンの戦火によって紛失したのか、
何か記録することも憚られるような事態が起きてしまったのか、
あるいは頼んだ飲み物がやってこない事に業を煮やした何者かが資料を破棄したのか。

希望崎の混沌も一層の苛烈さを増し、隔月毎に起こるハルマゲドンや、
学外でも二大勢力の衝突による長期戦争の幕開けを予感させる紛争など、
混乱の極みにある情勢の今となっては、二人のその後を追うこともままならない。

ゆえに、我々は、願う。ただ、願う。どうか――皆の愛につつまれてあれと。