日谷創面を応援するSS

人一人いない、荒れ果てたビル群の立ち並ぶ、東京の一区画。バブルの時代に無計画に開発され、 そして経済の破綻と共に打ち捨てられ、ビルの取り壊し費用ももったいないと、人々から遺棄された埋立地。 今にも泣き出しそうな曇天の下、そんな寂れた場所を歩く一人の少年の姿があった。


「ったく。なんだってこんなところに……」不満げな声を漏らし、海辺に立つ一際背の高い建物を目指す少年。 彼の名は日谷創面。代々長男が「手芸者」となる由緒正しき「豆腐屋」の息子にして、希望崎学園手芸部所属の一年生男子である。 ぶつくさと文句を垂れつつも、創面がこのような場所に来たのには理由がある。


『フーフフフ、ソメン。これでやっとあの女の道具から卒業って訳だな』創面の脳内に声が響く。 創面の肉体に宿る手芸者ソウル、ロクロの声だ。「うっせーよ」創面はぞんざいに答える。 そう、創面はこの忘れ去られた街へ、自身を隷属させる存在、希望崎学園報道部の小野寺塩素に会うためにやってきたのだ。


頼みたいことがあるから指定の場所へ来て欲しい――小野寺からの伝言を人伝に受けたのはつい数時間前。 頼みごとの内容については未だ聞いていない。現場で直接話すとのことだ。なんとも胡散臭い。 「まあ、この前の大会のことが関係してんだろうな……」創面はひとりごちた。


この前の大会――通称最大トーナメントに創面は小野寺の頼みにより参加し、そこで多くの経験を積んだ。 勝利があり、敗北があり、師と呼べる存在との出会いもあった。それらは創面にとって得がたい体験となった。 そんな体験をもたらした小野寺に創面は感謝の念を覚えてもいる。だが――


「一万円とか……ふざけやがって……」腹立たしげに創面は息巻く。だが、感謝の念を別にして、 創面は小野寺に憤慨していた。小野寺は創面の重度のシスコンをネタに、これまで散々に創面のことをこき使ってきたのだ。 最大トーナメントにしても、(後で蘇生可能といえど)命懸けの試合をするというのにたったの一万円で創面を出場させ、戦わせたのだ。


「今日こそははっきりとこれ以上あんたの好き勝手には動かされないって言ってやらなきゃな」 『アー……フフフフ。まァあンだけ大声でシスコンを宣言しちまったンだからなァ』「うっせーよ」創面はぞんざいに答える。 いや、これは照れ隠しに強い言葉を吐いているだけか。


創面は最大トーナメントの最中、ネット中継の行われている中、行きがかり上大声で己の姉好きを暴露するという悶絶必至の行為をした。 思い出すだけで顔から火が出る気分だが、しかしそれは小野寺の自分への脅しネタが無くなったことも意味する。 今回の小野寺からの呼び出しは、正に渡りに船。創面にとって己の決意を伝えるちょうど良い機会であった。



――――



待ち合わせ場所に指定された建物は、建設途中で放置されたビルであった。 ざっと40階はあろうかというそのビルの最上部は鉄骨が剥き出しで、その様はまるで聖書に書かれたバベルの塔を想起させる。 創面は今、そのビルの3階を歩いていた。待ち合わせはこの建物の30階。まだまだ上である。


3階まではテナントに使う予定であったのか、細かい部屋が立ち並び、その間を血管のように廊下が巡っている。 4階より上はオフィス用途であったのか、上に登る階段が奥まった場所にしか存在しないため、創面はフロアの中を奥へと進んでいた。


「荒れてんなぁ」歩きながら周囲を見回し、創面は呆れた声を出す。そこいらの小部屋はどこも工事に使う資材が打ち捨てられ、 「危険」「立入禁止」といった警告文の書かれた看板や、ブルーシート、鉄骨、ビニール袋、石灰の袋、分厚いマットレスの山が乱雑に積み上げられている。 窓枠にはめ込まれるのを今か今かと待ちわびているガラス板の山が、遮るもののない窓枠から差し込む光りを受けてきらりと輝く。


『アー、随分と杜撰な仕事をしてやがンなァ、フッフッフ』「なんだよ急に」ロクロの言葉に創面が質問を返す。 『この建物は手抜きってことだよ。柱がまともに建っていねェ……地震でもありゃ崩れンじゃねェか』「そんなことわかんのかよ」 『フーッフッフ。オイオイ、ソメン。俺を誰だと思ってやがる?真の手芸者ってモンは物の造りを把握できて当然だろォが』


己の肉体の同居人と雑談をしながら、創面は上階を目指して階段を登りゆく。


「Coooooooooooo――――――――――」創面は最大トーナメントで出会った師、池松叢雲より授かった「英語」の呼吸により心身を制御しながら階段を登る。 「なんだってこんなに馬鹿高いんだよ……昔の俺だったら今頃息を切らしてばててるぞ……」電気の通っていない廃ビルを登るには階段を使うしかない。 創面は何百段とある階段を「英語」の呼吸を行いながら登る。



――――



待ち合わせの部屋は広々とした空間となっていた。打ちっぱなしのコンクリートが寒々しい空気を放ち、 ガラスの無い窓からは灰色にうねる東京湾が一望できる。 階段を登りきり、ドアのないその部屋の入口部分で創面は立ち止まった。


部屋の中には、こちらに背を向けて一人の少女が立っている。当然、自分を呼び出した相手であろうと思った創面であったが、 「あれ?」思わず疑問の声が出る。その後姿がどう見ても待ち合わせ相手の小野寺ではないのだ。 小野寺はいつも和服を着て、番傘を手にしている。


しかし、今、創面の目の前にいる少女は動きやすい服装に丈の長いマフラーを首に巻き、 やや短めのポニーテールをゆらゆらと揺らし、窓の外を眺めている。一体誰であろうか。 「おーい、あんた。小野寺の知り合いか?」ひとまず創面はその少女に声をかけた。


少女は創面の声に反応して振り返る。「お待ちしていました。日谷創面さんですね。私、報道部の夢追中と申します」 眼鏡の奥の瞳を光らせ、少女は創面に挨拶した。「ああ、俺は日谷創面だ。で、あー、夢追、さん?小野寺は?」 報道部と聞いて、小野寺の関係者であることを確信した創面は、とりあえず律儀に挨拶を返す。そして続け様に質問した。


「小野寺先輩は来ていませんよ」「はぁ!?俺、あいつに呼び出されて来たんだけど」夢追の言葉に創面は疑問の声を出す。 「ああ、えっとですね、用事があるのは私でして、小野寺先輩に伝言を頼んだんです」そんな創面の様子に慌てて夢追は説明した。 「『ぼくの可愛い後輩の頼みを聞いてもらえないでしょうか』との小野寺先輩からの言葉も預かっています」「その後輩ってのは」「私です」


創面はがっくりと肩を落とし溜息をついた。今日こそはびしっと言ってやろうと気合を入れてきたというのに、 肝心の相手がいないとは。肩透かしもいいところである。「ああ……まあ、いないんじゃしょうがないな」溜息混じりに呟く。


「あいつのことを先輩って呼んでるってことはあんたは俺と同学年か」「はい、一年生です」 「それで?夢追は俺に何の頼みごとがあるんだ?」気を取り直した創面はそう質問した。


思うところはあれど、一応小野寺に感謝している部分は確かにある。一応。 義理を果たすためにも、そしてそもそもこんなところまで呼び出された理由を知るためにも、 実際に引き受けるかは別として、まずはこの夢追の頼みごととやらを聞くことにした。


「実は私……先日の大会で創面君の活躍を見させてもらいまして……その魔人能力に感動したんです!」 「はぁ……」「それで……是非、その能力を!イロイロと!見せていただけないでしょうか!」 興奮気味に身を乗り出しながら、夢追がきらきらとした瞳を創面に向ける。


「俺の能力?」「はいっ!」創面は首を捻る。そんなものを見てどうしようというのか。 「あっとですね、私は魔人能力を見るのが趣味でして」「はぁ……」「創面君の能力を間近でイロイロ見たいんです!」


どうしたもんかと創面は考え込む。俺の能力を見たいと言っているやつがいる。 そういえば報道部に魔人能力が大好きなやつがいると聞いた覚えがあるが、こいつがそうなのだろうか。 まあ、別に魔人能力を隠しているわけでもないのだから、見せるくらいはいいだろう。


「まぁ……別にいいけど」「おお!わーい!ありがとうございます!」特に問題はないだろうと結論付けた創面の返答に、 無邪気に喜ぶ夢追。その様子を見ながら、創面は思う。(報道部にもまともそうなやつがいるんだな……まあ趣味は変わっているけど)


「それでは早速失礼します!」言うが早いか、夢追の腕が振られる。――ヒュンッ!風切り音と共に創面の頬を何かが掠めた。直後、背後から聞こえる破壊音。「はぁ!?」 「む……やはりフェイントでは駄目ですかね」不思議そうな顔をしてそう言う夢追。その手には鋼鉄製のメモ帳が握られている。 たった今創面の頬を掠めたのは、夢追が手裏剣の如く放った鋼鉄製メモ用紙であったのだ。


「おい!?いきなり何してるんだよ!?」驚き叫ぶ創面。「いえ、イロイロ見せてもらうにあたって、まずは噂の手芸者さんを見たいなーと」 夢追は平然と言い放つ。「創面君が死にそうになると出てくるんですよね?それじゃあ手足の一本二本切ればOKでしょうかね」 前言撤回だ。こいつはヤバイ。やっぱり報道部にまともなやつなんていなかったか。創面は空を仰ぎたくなった。


「ふざけんな!そんな頼み聞いてられるかよ!」創面は吼えつつ、周囲に視線を巡らす。階段は自分の背後にある。 夢追の気を一瞬でも逸らせればさっさと逃げ出せるだろう。いきなりの横暴な頼みに付き合う理由はない。


「むぅ……でも私もう盛り上がっちゃいましたから……逃がしませんよ」そう言って突如身にまとう空気を変える夢追。 (――魔人能力!!)創面は全身に緊張を漲らせる。トーナメントを終えたばかりだというのに、 まさかこんなすぐに再び魔人同士の闘いをすることになろうとは。いや、それが自分の選んだ道なのか。


創面は思いを馳せる。大会を通し、大手豆腐製造会社「涅槃」から送られてくる刺客・手芸者と闘うことを決意した自分。 その背後にそびえる巨大な敵、製薬会社雲類鷲製薬のボス、雲類鷲殻を倒すと決意した自分。 自ら日常を闘いの中に置くことを決めた自分に対する、これは洗礼なのかもしれない。


煩悶する創面の前で、夢追は集中力を高めながら、何やら儀式めいた動きで指先を虚空に彷徨わせる。 何かを集めるような、点と点を線で結ぶような、そんな奇妙な動作をした後、 見えないソフトボールでも掴んでいるかのように右掌を上に向けたままで、一連の動作を終えた。


「見えますか?」創面に向けて夢追が質問する。「私の右手の上」そこには何も見当たらない。 「いや……」相手の動きに注意を払いつつ、創面は答える。相手の能力の正体は分からない。 「そうですか……願いの星の天球儀、いきますよ」夢追が右手を返し、掌を床に向ける。見えない何かが床に落ちたのだろうか。


――ズズゥン!突如として轟音と共に創面のいる部屋が揺れた。「なっ!?」姿勢を崩し、床に手をつく創面。 酷い揺れの中、軽やかにバランスを保ちつつ夢追が窓際に歩み寄り、下を覗き込む。 「わぁ!凄い事になってますよ!」嬉しそうな表情と声で、創面に向き直った。


「液状化現象ですよ!ここ埋立地ですしね!」なんということであろうか。創面のいるビルの建つ地面が突然の液状化。 まるで底なし沼のようにビルをゆっくりと飲み込み始めたのであった。この強い揺れはそのためだったのだ。


「あんたの能力か?」「ふふふ……さてどうでしょう?偶然、液状化が始まっただけかもしれませんよ?」 なんとも白々しい。創面の質問に夢追は平然とありえないことを述べる。


「まあ、これでうっかりこの建物から出たら沈む建物に巻き込まれて危険ですね」にこやかに言う夢追。 「脱出の手段なら私が持っていますんで、私を満足させてくれたらすぐに脱出させてあげますよ」 「俺の手足をもぐってのか?どこかの豆腐馬鹿みたいな趣味しやがって」『ウルセェぞシスコン』「うるせぇ豆腐馬鹿」


「反撃してもらってもいいですよ。むしろ反撃推奨します」ロクロとやり取りをしていた創面にあっけらかんと答える夢追。 「私が死んだ場合も創面君が脱出できるようになってますんで遠慮なく」「何言ってんだ?」 「不測の事態に自分の能力の応用ひとつで対処!素敵じゃないですか!是非、予想外の能力応用法を見せてください!」


メモ帳から鋼鉄製メモを一枚取り外し、構える夢追。「あと「英検」にも興味あるんですよ。武術家として、その身体制御はじっくり見てみたいものです!」 興奮し、今にもわくわくという擬音を発しそうな様子の夢追を見て、創面ははっきりと理解した。 こいつは話し合いでなんとかなる相手じゃない。


「私の武術を超えて、私の体に直接創面君の能力を叩き込んでください!」夢追は実に嬉しそうだ。 「そうすりゃ満足するってのか?」「ええ、多分。それじゃあ改めて」夢追の腕に力が溜められる。 「ハッ!」夢追の気合と共に、創面の体に向かってメモが飛来する。


メモが創面の体に触れる直前、創面の姿が部屋の中から消えた。床を抜いて階下へ離脱したのだ。アゲンスト・トーフ! 先程から床に手をついていたのはこのためであった。「おおっ!」夢追の嬉しそうな声が響く。


円く抜けた床の穴に近付き、下を覗く夢追。すでに創面の姿はそこにない。「よっ」軽い掛け声と共に夢追は穴に身を投じた。 下の階に着地すると、ぼむっという柔らかい感触が足裏から伝わってきた。「おぉ……」型抜きされた床が緩衝材のような弾力をもっている。 「縁を限界まで柔らかくして型抜きし、足元は弾力を残してマットにする。素晴らしいですね」ふにふにと床をつつきながら分析する。


「ふむ……」夢追はひとつ唸ると柔らかい床の一部をすくい取り、そのまま口に運ぶ。 「んー……お豆腐?と言うにはミネラル豊富過ぎるかな?」舌で味わい、楽しく能力を吟味する。 「さて……次は何を見せてくれるでしょう?」口の中の床はコンクリートの粉に戻り、ざらざらと舌を舐った。



――――



『フーッフッフッフ。オイオイ、ソメン!楽しそうじゃねェか!』「何なんだよあいつは!!!」 階段を駆け下りながら、創面は憤る。『オイ、女の方からヤッてくれって言ってンのに逃げンのか?』ロクロは愉快そうに言う。 「あんなのとやり合うより逃げ出す方法考えるほうが楽だろ!」


『アァー、ソメン。相変わらずお前は馬鹿だな』「ああ!?」ロクロが諭すように、あるいは嗾けるように語りかける。 『お前はあの報道部が逃げ道を用意しておいてくれるなンざ本気で思ってンのか?』「ぐっ……!?」 確かにロクロの言う通りだ。創面は立ち止まった。


相手は魔人蔓延る希望崎学園の中でもその計算高さで名を売る報道部。相手の指定した場所に来てしまった時点で退路など残されていないだろう。 先程の夢追の言葉を思い出す。脱出方法は用意してあるなどという口ぶりからしてもこの状況は予め仕組まれていたわけだ。


そして小野寺塩素……人に頼まれて素直に伝言役をするとは到底思えない。 当然、今回のこの事態に、塩素自身の何某かの目論見が混ざっているのだろう。 「くそっ!結局今回も小野寺の思う壺ってわけかよ!」創面は拳を強く握り締めた。


「小野寺のやつ……何が狙いだか知らねーが……畜生!やってやるよ!」 『フーフフフ。そうこなくちゃなァ!』 創面は己の服を脱ぎ捨て、臨戦態勢――海パン一丁になった。



――――



闇と罠と魔物とが跋扈する希望崎学園地下迷宮。希望崎学園生の危険な遊び場となっているこの場所で、 虚居まほろは不意に迷宮内の天井を見上げた。荒い岩がゴツゴツとまほろを威嚇している。 「どうしたのよ?」そんなまほろに声をかけたのは同道者の埴井葦菜だ。


「夢追さん……また無茶してるのかなって……」「ああ……そりゃしてるでしょ」 まほろと葦菜、そして夢追の三人はよくこの地下迷宮に遊びに来る探検仲間である。 今は同じ場所にいない仲間のことを、二人はぼんやりと夢想した。


今日は一緒に探検することが出来なかったけれど、一体何処で何をしているのだろうか。 だが少なくとも分かることはひとつある。二人共通の認識だ。 どうせどこかで魔人能力見たさに突っ走っていることだろう。


「みんなも心配する相手ってやっぱりいるんだね」そんな二人に声をかけたのは日谷奴子。 創面の双子の姉であり、生徒会の依頼により地下迷宮を探索している迷宮調査隊の一員だ。 今日は同級生であるまほろ、葦菜の先導として、この地下迷宮にやってきていた。


「私にも近頃無茶ばっかりしている弟がいるから」溜息をつく奴子。 まほろと葦菜は顔を見合わせる。気持ちは痛いほど通じた。 「でも……」「放っておけないのよねぇ」三人はうんうんと頷きあった。



――――



逃げ出すのを諦め、戦闘する気になった創面であるが、それから劣勢が続いていた。 「甘いですよ!ぬるいですよ!製作者の悪意が足りないですよ!」夢追の楽しそうな声が届く。隣の部屋に仕掛けた罠も回避されたらしい。 「くっそ!」創面は己の能力と手芸の「回転」技術を駆使して床に無数のトゲを作り、その場を離脱する。


「なんで全然引っかかんねーんだよ!?」『お前の工夫が足りねェからだろォが』「うるせぇ!」 落とし穴や落下物、トゲ床に足払い……様々なトラップを仕掛け、その場を離脱。相手が罠にかかって身動き取れない隙に能力を叩き込む。 それが創面の作戦である。相手をなるべく傷つけずに無力化する最善の方法として思い付いたものだ。


「くっ……先生とのLessonでこういうのには慣れた気でいたんだけどな……」最大トーナメントで得た技術である。 『ハッ!そンなンで獲物を狩れると思ってるたァ相変わらずの甘ちゃんだなァ。せめてあの小波とかいう女くらいの罠を仕掛けられねェとなァ』 「小波……」創面が最大トーナメントの第一回戦で戦った相手であり、罠を仕掛ける腕前はかなりのものだった。


「裏の試合映像は見てたんだけどな……」しかし、見ただけでその技術が真似できるようなら苦労しない。 何か罠に使えそうなものはと自分のいる部屋を見回したところで、入口に夢追が姿を現した。 「もう来やがったか……」「失礼しますよ!」夢追はそのまま部屋に入る――いや、入口の床を飛び越えて部屋の中に侵入した。


「くっ!」唸る創面。そこには落とし穴が用意してあったのだ。何故こうもあっさりと罠を回避されるのか。 「床にあらかじめ能力をかけて柔らかくして落とし穴作成。持続時間は60秒。この分厚い床を柔らかくするには10秒ほど時間が必要」 夢追は創面の能力を詳細に語る。「相手が近くにいては新しく作れませんね」


なるほど魔人能力を見るのが趣味と言うだけあって、大会の映像からよく能力を観察してきたらしい。しかしなぜ落とし穴が見破れるのか。 訝る創面に対し、「部屋の出入り口には落とし穴。基本ですよ!」にこにこと夢追は言う。 「悪意溢れる罠を作りたければ学園の地下に潜ってはいかがですか?あの迷宮は製作者の悪意の塊ですよ」


なるほど、迷宮探索に慣れた手合いだったのかと創面は心の中で頷く。姉から聞いた話では、あの迷宮はトラップ地獄らしい。 「罠にゃかからないってわけか……」「もっと独創的なのをお願いします!ロケットパンチとか!あれはびっくりしました!」 どうすればいいか……創面は悩んだ。轟音と振動を常時響かせる足場の悪い建物の中で何か……。


「それでは次は接近戦といきますか!」夢追が飛び込んでくる。「くぁっ!?」その蹴りを慌てて回避する創面。 (仕方ねぇ!早いところこいつの手でも足でも掴んで能力を叩き込んでやる!)揺れる重心を「英検」の身体操作で落ち着かせ、 伸ばされた足を掴もうとする。「おっと」「ぐぉっ!?」しかしその手は空を切り、逆に足払いを喰らって倒れ込む。


夢追は一撃目の回し蹴りの回転を活かし、そのまま軸足を水面蹴りへと変化させたのだ。 不意を突かれた創面は相手の足に能力を発動させることもままならなかった。


「右足に気を取られて左足に注意を払えないと駄目ですよー」「くっそ!」倒れながら横にある夢追の足首を掴もうと手を伸ばすが、 「もっとこう触られてもいいって気分にさせてくださいよ!」ひらりと身をかわされ、空気を掴む。 「このっ!」身を起こし、相手の体を掴もうとするが、夢追の体は風に舞う羽のようにその手をすり抜ける。


「英検」によって身体能力は飛躍的に向上したはずなのになぜこうもあしらわれる――悩む創面の頭にロクロの声が響く。 『アーアー……おい、ソメン。あの女は真っ当にカラテでもやってるみたいだな。今のお前じゃ正面突破は面倒だぜ』 『どういうことだよ?』創面も脳内でその声に答える。


『お前は「英検」で確かに身体能力が向上した。だがな、それは自分の体を思い通りに動かせるようになったってだけだ』 『それがどうしてあいつに勝てないってなるんだよ?』『いいかァ?武術ってもンはな、そもそも自分の体を思い通りに動かす鍛錬をするもンだ』 『なら俺と同じじゃねーか』『まァ年季が違うってのもあるだろうが、武術はそれだけじゃねェ』


夢追の攻撃をかわしながら、創面の脳内ではロクロのインストラクションが続く。 『武術ってのは相手が思い通りに動けないようにするってェ鍛錬もするンだよ』『なんだって?』 『相手の死角、思考の死角、様々なもンを突いて敵に思い通りの動きを取らせないようにする。それが武術だ』


『まァあの「先生」みたいに圧倒的な力で真正面から戦っちまうような例外もいるけどなァ。フーフフフ』 「ハッ!」創面の目の前に鋼鉄製メモが飛来する。呼吸を整え、素早く首を振ってその攻撃を回避。 「じゃあどうすりゃいいってんだよ!」夢追を睨みながら、創面は声をあげた。


『わかってンだろ?お前はその「先生」にどうやって挑んだ?』「ぐっ……」 創面は動きを止め、その表情に苦悩の表情を浮かべる。その様子に夢追も攻撃を止め、創面を見守る。 しばしの沈黙。創面は動き出さない。先に痺れを切らしたのは夢追だった。



――――



「もっとギミックがあったほうがお好みですか?」突然、夢追が訳の分からないことを言い出した。 「ああ?」「それじゃあもう少し追加しちゃましょう」困惑する創面をよそに、夢追は精神集中を始める。 目をつぶり、建物の揺れも意に介さず、何かを集めるような仕草。再びの魔人能力発動である。


「輝く曙光の太陽柱。照らし出すのは何でしょう?」


(今度は何をしようってんだ!?)創面の前で奇妙な動きを止め、再び右手で何かを掴む夢追。 「それではいってみましょう!」掌を返す。――ズズゥン!これまでの轟音に混じり新たな破壊音が鳴る。 次の瞬間、創面の視界が斜めにずれた。「は!?」体に浮遊感が働き、横に投げ出されそうになる。


揺れながら底なし沼へと沈むビルの中ほどがぽきりと折れ、その先がビルの横、海に向かって落下を始めたのだ。 「おおっ!」「うおおおーーーっ!!?」ビルの上階寄りにいた二人は建物と一緒に海へと落下しゆく。


――ザブゥン!地響きと盛大な水しぶきを上げ、ビルが海面に着水する。建物の中にいる二人にも激しい衝撃が伝わる。 「ぐあっ!」創面は落下中、咄嗟に壁面を掴み、能力で軟化させた場所へと落下することでなんとか衝撃を吸収していた。 夢追の方は身体能力と武術のなせる技か、無傷で落下の衝撃に耐えたようだが、さすがにすぐに身動きが取れないでいる。


ザザザ……周囲からビルの中へと水が流れ込む音が聞こえてくる。このままここにいては溺死してしまう。 創面は斜めになった床を能力で貫通し、折れたビルの根元方向――陸の方向を目指して即座に移動を始めた。 「ああっ!待ってください!」背後から聞こえる声は積極的に無視をした。



――――



「ヒャッハー!死ねぇー!」振り下ろされる斧。しかし、その刃は奴子の能力によって硬化したまほろの腕で遮られる。 ブーンブーン……蜂の羽音が希望崎学園地下迷宮内に響き渡る。「ヒャッハー!?」続いて響くモヒカンザコの断末魔。 「まったく!女の子に遠慮なく襲い掛かるなんて酷いやつね!」奴子は物言わず倒れ伏すモヒカンザコに文句を言う。


「まあモヒカンザコだからね」蜂達を操り、周囲への警戒を怠らずに葦菜が答える。 「先に進めそう?」まほろの問に「待って!」葦菜が緊張した声を出す。 「ヒャッハー!」「女だー!」「ヤっちまえー!」大量のモヒカンザコが通路のそこかしこからあふれ出す。


「次から次へと……」葦菜は蜂達に再び命令を下し、攻撃態勢を作る。 「私が壁になるわ……」まほろが一歩踏み出す。「女の子を大切にしないやつらは豆腐の角に頭をぶつけて……」奴子も豆腐を構えた。 迷宮内に剣戟と怒声が木霊する。



――――



水没したビルの一室。元々乱雑に散らかっていた工事用具がさらに壊滅的に飛び散り、ブルーシートがクラゲのように漂っている。 斜めに傾いた床――元々は壁であったわけだが――の上を、そんなゴミをどけるように巨大なシャボン玉が転がってゆく。


「あいつの能力はなんなんだよ一体!?」シャボン玉の中で声をあげたのは創面だ。 このシャボン玉は創面の能力によって柔らかくしたガラスで作られたものである。 建物の構造の関係か、陸に向かう途中、既に水没した部屋を通過しなければならず、どうするかと頭を抱えた際に目に飛び込んだ大量のガラス。


能力によりこねて球体にしたガラスの中に入り込み、車輪を回すハムスターのように匍匐前進で球体を転がして創面は進んでいた。 『振動に耐えられなくて折れたンじゃねェのか?手抜き工事だったしなァ……フッフッフ』「真面目に考えろよ」 部屋の端まで辿り着いたらガラスを壁にぴたりとつけ、手をガラスから出して壁を柔らかくし、崩して次の部屋へと移動する。


『真面目ってェンならお前も真面目にやったらどうだ?』「何のことだよ?」青く揺れる景色の中をシャボン玉は進む。 『アァ?さっきの接近戦だろ。手や足を変形させりゃァやりようはあったンじゃねェのかァ?』池松とのLessonで体得した技だ。 確かにそれならば何とかなるかもしれないと創面も考えてはいた。だが――


「大会と違って怪我が治るわけじゃないだろ。腕や足を変形させて上手く戻せなかったらどうすんだよ」 まだ自分の技術は未熟である、やり直しのきかない場面ではそうそう無茶はできない。創面は頷く。 『アァ、大好きな姉貴に女を傷つけるなって言われてたからなァ』「人の話を聞けよ」


ふと目の前を流れてゆく小さなイソギンチャクに創面は目を奪われた。 そういえば第一回戦で戦った熊野ミーコは相棒の巨大イソギンチャクと息の合ったコンビネーションを見せていた。 「俺もあんな相棒ならよかった……」『それはコッチの台詞だクソッタレ……』ズブリとまたひとつ壁を崩し、シャボンは進む。


『アァー、やっと水中からオサラバだな』新たな壁を崩そうと手を伸ばした創面の頭にロクロの声が響く。 「おっ!?この向こうか?」ロクロの強力な手芸者能力は壁越しに隣の部屋の様子を把握していた。 「それじゃ上手く俺だけすりぬけりゃいいわけだな」ガラスから手を出し、壁に能力を使用する創面。


「あいつ……溺れてないだろうな……」分厚い壁を柔らかくするのには10秒ほどかかる。 能力を使用したまま、創面は自分が通ってきた道筋、壁に空いたトンネルを振り返る。 『他人の心配たァ余裕だな』「うるせ……えええ!?」ロクロに言い返そうとした創面は驚愕の声をあげた。


なんということか、壁の穴を通り、長いマフラーをたなびかせ、夢追が水中散歩でも楽しむようにゆっくりと歩いてきたのだ。 創面の姿を見つけた夢追は目を細める。その顔の下半分、鼻や口はマフラーに埋めており表情ははっきりとしないが笑っているのだろう。


果たしてどのようにして夢追は水中を平然と歩いているのか。その答えはマフラーにある。 夢追のマフラーは社と呼ばれる付喪神の一部であり、その本体は夢追の住む屋敷である。 そして社には本体と己の一部の間を、遠く離れていようとも空間をつなげて人、物を運ぶ能力がある。


今回はその能力によって遠く離れた屋敷の空気をマフラーに届け、夢追の呼吸を保っていたのだ。 さらに、社にはふわふわと漂う程度の運動能力がある。 夢追はマフラーに体を押さえられることで水中でも浮き上がることなく、快適な散歩を可能としていた。


「どうなってんだよ!?嘘だろ!?」創面は慌てて壁を通過し、離脱を図る。 『オイ、ちょっと待て』しかしロクロが創面を引き止めた。「なんだよ!?」夢追は着々と迫っている。 『アァー、よし、さっさと壁を抜けろ。グズグズすンな』「待てとか行けとかなんだよ一体!?」


混乱しながらも、水が漏れないよう注意しながら創面は壁に潜ってゆく。 しかし逃がすまいと、その背中を夢追は無慈悲に鋼鉄製メモ投擲で狙い打つ。 夢追の手から放たれたメモは水中にもかかわらず高速で創面へと向かう。創面の窮地!


しかし、その時すでにガラスのシャボン玉にかかっていた創面の能力は解除されていた。突如水中に轟く破砕音。 メモがガラスを砕き、ガラス内の空間に向かって周囲の水が殺到したのだ。創面の能力は解除されるまで5秒程掛かる。 そのタイミングを見計らい、ロクロが夢追の行動を誘導したのである。夢追は水流に呑まれ、渦巻くガラスのミキサーへと吸い込まれた。



――――



目の前には1階が完全に泥の中へ沈み、2階以降も底なし沼へと沈みゆく半壊したビル。 創面が立っているのは折れたビルの根元――元々は目の前のビルの上部につながっていた部分。 泥の中へ沈みゆくビルと海の中へ沈みゆくビルの間、建物1階分ほどの高さの下は地獄の釜のように泥が渦を巻いている。


泥に沈むビルへ飛び移るか、このまま海に沈むビルに残るか、あるいはビルから脱出を試みるか。 水中から脱出し、さらに、すぐ後を追ってくるかと思われた夢追が壁を破って現れることもなかったため、 創面は無事にここまで辿り着いていた。


「あいつが追いつくまでに何か手を考えないとな……」どんな手段が最適か、創面は頭を悩ませる。 『無事に追いついてきたらなァ、フーフフフ』「どういう意味だ?」『さァな……フフフ』 ゴゥンと足場が揺れ、創面のいる折れたビルが今にも倒壊しそうな様相を見せた。


ひとまず目の前のビルに飛び移るかと考えていた創面の背後で、ズガンと鈍い音が鳴る。 振り返れば、壁を破壊して夢追が姿を現した。「能力解除の時間差を利用した攻撃、素敵でしたよ!」 魔人の高い身体能力を活かし、ガラスの渦の中、致命傷は避けた夢追であるが、その手足には生々しい切り傷が無数に刻まれていた。


『いい眺めじゃねェか』「お前何しやがった!?」『情けねェどっかの馬鹿に代わってチョイとな……フフフ』 肉体の同居人に対して気色ばむ創面。「あーご心配なく。この程度の怪我なら戦闘に支障はありません」だが夢追は落ち着いている。 濡れた服をはたき、雫の垂れる前髪を振って水を切り、髪型を整える。「海水はちょっとしみますけどね」肘から垂れる雫は赤い。


「いい加減満足してくれよ」「まだ直接能力を喰らってないですよ」創面は今日何度目かも分からない溜息をついた。 「なんだってそんな怪我してまで続けるってんだ?」相手の痛々しい姿を見て平然としていられなかったか、創面は問う。 「まさか大会であれだけのことをしてきた創面君からそんな言葉を言われるとは」意外そうに答える夢追。


「創面君だって、いくら生き返るといっても何度何度も死んで、それでも特訓を続けていたじゃないですか」 池松とのLessonの事だ。あの様子を見ていたのか。「俺にはやらなきゃならないことがあるんだよ」 創面は己の戦うべき敵を、そして守るべき家族を思い出す。「それなら私だって同じですよ」夢追は言う。


「遥か前方に見たいものがある。それなら脇目もふらず全力で前進する。そこは譲れない。創面君なら分かるのでは?」 にこにこと夢追は言い放つ。「だから私に見せてください。私を魅せてください。その能力のイロイロを。その能力のイロイロで」 おもむろにマフラーを横に広げる夢追。何をするつもりかと身構える創面の前で、マフラーの中から物騒なものが姿を見せた。


「はぁっ!?」創面が驚くのも無理はない。今、夢追が手に持ち、構えようとしているのは……ロケット弾だ。 そう、社の能力によって夢追が屋敷から新たに転送したのは対戦車ロケット弾である。 「傭兵さんの知り合いからお借りしたものです。対処法メインですけど、銃火器の使い方は知っていますんで」射線が創面を捉える。


「やっぱり銃火器への対処って魔人能力の大きなポイントじゃないですか!」「ちょ、待て!」「待ちません!」遠慮なく引かれる引き金。――ボンッ!ロケット弾が空を切り迫る。 『トーフ化だ!』「うおおぉぉーー!?」自分の体を柔らかくし、ぐにゃりとブリッジするように襲い来る弾を避ける創面。 腹の上を弾がかすめ、逆さまの視界の中で、泥に沈むビルの壁面に穴が穿たれた。


「んー……次はどうしましょう。短機関銃か、斬撃への対応確認に日本刀もいいですかね」砲身をマフラーに仕舞う夢追。 「能力見せろって言っといて殺す気かよ!?」思わず英語の呼吸も乱れ、息を荒げる創面。 「大丈夫ですよ!創面君の能力なら!」「何だよそれ!?」『信頼されてンな』「そんな信頼いらねぇ!」


ズズズ……足場の揺れが一際大きくなる。いよいよビル先端部が海の藻屑となるのか。 「くっ!」乱れた呼吸を整えるためにも、一旦この場を離脱する必要がある。 創面は泥に沈むビル、その壁面に先ほど空いた穴へと身を躍らせた。


「あー……いけない」今にも崩れんとするビル先端部に取り残された夢追が呟く。 「そうだった。「英検」の身体操作を見るんだよね。能力鑑賞に熱くなっちゃった。ありがとう、社」 付喪神である己の衣服と言葉を交わしつつ、夢追もまた、底なし沼へと沈みゆくビルへと身を投じた。



――――



『で?どうすンだ?』「今考えてんだよ!」ビルの2階は既に大部分が泥に侵食されていたため、 3階へと移動し、創面は呼吸を整えてた。二つの小部屋が連なっている連結部で、左右に目を走らせ警戒も忘れない。 大量の鉄骨が散乱しているここならば、創面のように壁を抜けられなければ容易には近づけないだろう。


『俺が事前に教えてやらなきゃお前は今頃爆発四散でオダブツだったぜ』「くっそ!あんなもんどうしろってんだよ!」 いくら大会で死線を潜り抜けたといえど、創面には銃火器との戦闘経験などない。頭を抱えたくもなろう。 『まあ……飛び道具の対処は俺がなんとかしてやろう』「出来んのか?」『アァ……だが、その前に、だ』ロクロが声の調子を変えた。


『ヤるってンなら、ソメン。まずはお前の覚悟をしっかりしやがれ』「ああ?」ロクロの声に呆れが滲む。 『敵を傷つけられないようじゃどうしようもねェぞ』「……」創面は押し黙った。 『アッチはヤる覚悟もヤられる覚悟もあるみたいじゃねェか。まずはお前の甘ったれた考えをトーフにでもして食っちまえ』


創面は夢追の語った覚悟の言葉を思い出す。全力で前進すると言っていた。譲れないとも。 傷つける覚悟。傷つけられる覚悟。能力を見せて驚かせてくれと言う夢追。自分を導いてくれた池松の姿。そして姉の姿。 「ああ……やってやる。覚悟は……できたぜ!」創面の表情は決断で引き締まっていた。


これまでに夢追が見せたのは液状化現象、ビルの倒壊、水中歩行、そして銃火器の出現。能力の統一性は見当たらない。 それもそのはず、夢追の魔人能力「夢追汽車の終着駅(ギャラクシー・レールロード・ターミナルケア)」は「奇跡を起こす」という能力である。 例えば偶然に今居る場所が液状化を始めたり、手抜き工事のビルが倒壊したり、起こらないような事を引き起こす能力であるため、向き合って能力を予想することは困難である。


その上に、他者からは普通の衣服と変わらないように見える夢追を護る付喪神の魔人能力もそこに混ざるため、相対する創面にとって夢追は実に正体不明の能力を持った存在に映る。 だが……「Coooooooooooo――――――――――」創面は英語の呼吸を整える。 一撃。相手の能力など関係ない。創面の全身に力が漲った。



――――



「さてっと……ここから下はうろつく怪物も本当に危なくなるからね」奴子が二人に確認を取る。 「大丈夫……覚悟は出来てるから」「珍しいものが沢山あるんでしょ?自慢できるわ!」まほろと葦菜は力強く頷く。 「じゃあ……行こう!」希望崎学園地下迷宮最深層へと三人は進む。



――――



夢追がその部屋に入ったとき、まず目に飛び込んできたのは創面の左手にある金属光沢を放つ塊であった。 幅は畳1枚ほどであろうか。創面の腰の高さまであるその塊はビルの振動に合わせてかすかに揺れている。 黒銀のスライムの如きその物体に創面は左手首までを差し込み、静かに夢追を見据えていた。


アゲンスト・トーフによって柔らかくした鉄の塊――夢追は状況を分析しながら創面へと近付く。 「なるほど。そうやって手先を沈めれば武器を隠すにはもってこいですね。自分しか取り出せない武器の隠し場所。いいですね」 不意に創面の右腕が唸りを上げる。能力によって作り出した三つ又状投石器から白い弾が放たれた。


放たれたのはビニール袋に包まれた石灰の粉である。それが同時に三発。うかつに防げば目潰しとなる。 さらに、創面自身は英語の呼吸によりいつでも飛び出せる体勢を整えている。下手に避ければ体勢の崩れたその隙をつかれる。 夢追はどうするか。即座に首に巻いたマフラーを「抜刀」した。


まるで生き物のようにのたうつ布が空中で三発の弾を絡めとり、袋を破ることなく明後日の方向へと受け流した。 脇の壁にぶつかった目潰し弾はコンクリートの壁を白く染める。 「いつでもどこでも新しい武器を作れるというのは羨ましいかぎりです」距離を保ちつつ、夢追は思ったことを素直に述べる。


他の場所に比べて散らかる物の少ない小部屋。恐らくは散乱していた鉄骨をこねて纏めたのだろう。それが左手のスライム。 「さて、その左手にはどんなサプライズが」夢追が一歩前へと踏み出そうとして、ふと立ち止まる。「ああ、いや、違いますか」 鉄のスライムをもう一度注視。「それは可動式の鉄の盾ですね」10歩ほど離れた場所に立つ創面へと声をかける。


「一度能力を伝わせれば硬度の調節が可能。鉄を流動体に変え、回転加工で自在に変形。敵の攻撃があれば瞬時に元の硬度に戻して鉄の壁にする」 嬉しそうに夢追は続ける。「それならば銃弾や砲撃も防げるかもしれませんね!なるほど!先ほどの銃火器への対策ですか!」 創面は押し黙っている。やや顔色も優れない。戦闘開始から能力を使いっ放しであり、さすがに疲労が出始めているのか。


夢追の分析が終わるのを見計らうかのように、鉄の塊が変形を始めた。円柱状に形を変え、上へと伸びていく。 まるで深淵から飛び立つ竜のように伸びた鉄塊は鎌首をもたげ、夢追の方を向く。 「……覚悟はいいか?」創面がついに口を開いた。鉄の竜が威嚇するようにその首を振る。


マフラーを首に巻きなおし、自分を睨みつける竜を見上げ、夢追は満面の笑みで答える。「いつでもどうぞ!」 「じゃあ……いくぜ!」アゲンスト・トーフ!創面は全力で能力を発動した。 瞬間、夢追の足場が豆腐のように崩れ落ちる。「えっ」夢追は泥水に埋まる2階へと落下した。


創面の能力は体に触れた部分しか影響を及ぼさないはず。予め能力を仕込んでいたとしても持続時間は1分。 既に創面と向き合ってそれ以上の時間は経過していた。どうして足場を崩すことができたのか。 能力の分析と、そして目の前で動く鉄の竜に気を取られて反応の遅れた夢追は泥水に着水した。


『ヨシ!後はそのまま鉄塊でプレスすりゃオシマイだ』ロクロの声を聞きながら、創面は左手で――小指の欠けた左手で鉄塊を動かしつつ、夢追の落ちた穴へと近付く。 創面の顔色が優れなかったのはこの身体欠損による消耗が原因だったのだ。 創面はいかなる技でもって夢追の足場を崩したのか。何故左手の小指が欠けているのか。その答えはアゲンスト・トーフと「英検」の身体制御の複合であった。


創面は己の師、池松が千切れた体をもあくまで自分の体の一部として扱い、制御する様を見てきた。 英語による高度な身体制御にかかれば、たとえ切り離された体であろうとも意識を通わせることができる。 (流石に先生みたいに動かすことは出来ないけれど、そこに自分の体があると認識さえできれば能力は使える!)


そう、創面がした覚悟とは「己が傷つく覚悟」であった。己の指を切り離し、それでも能力が使用できることを予め確認した創面は、 部屋に散乱していた鉄骨でロクロ指導による飛び道具防御壁を作成しつつ、落とし穴を仕込んだのであった。 創面は英語の呼吸により切り離した左手の小指に意識を残して床に埋め、投石器と鉄塊によって夢追の立ち位置を調整したのだ。


あとは夢追がアゲンスト・トーフの持続時間を計算し、もはや遠距離での不意打ちがないと油断したところを見計らい、一気に足場を崩したのである。 穴の底から「持続時間が伸びたんですかー?射程が伸びたんですかー?」疑問の声が聞こえてくる。 『どうしたソメン!』落とし穴の上から鉄を注げば人柱の出来上がり。それで終いだ。


しかし創面はここで鉄塊ではなく言葉を投げ込んだ。「降参しろ!そこはもうすぐ埋まるぞ!」 なんということか。創面は「己が傷つく覚悟」をしておきながら、未だ姉の言葉を守り通そうとしているのだ。 すなわちダメージによる勝利ではなくギブアップ勝利を狙い続ける心積もりだ。


ロクロによる腰抜け、甘ちゃん、シスコン等の罵倒を頭の隅に追いやり、創面は穴に向かって言葉を続ける。 「上から蓋をするぞ!もう俺の能力を喰らっただろ!それで満足しろ!」だが、穴の中から聞こえてきたのは予想外の音だった。 創面の言葉に対する受諾でも拒絶でもない。――カラリ、コロリ……。それは軽やかな下駄の音だ。


何事かと穴の底を覗き込んだ創面は目にした。いつの間にか下駄を履いた夢追が、あたかもそこに階段があるかのように、 空中を歩いて昇ってきている光景を。上を向いた夢追と目があう。「ご心配なく。私は生き埋めになんてなりませんよ」夢追は笑い、右手を振るう。 『下がれ!』ロクロの怒声に穴の縁から上半身を引く創面。その顔面をかすめ、鋼鉄製メモが穴を飛び出し、天井のコンクリートに突き刺さった。


夢追の空中歩行。水中歩行と同じく、これもまた社による動作補助によって実現していた。 空中を漂うことの可能である社の一部、今回の場合は下駄を踏むことで、空中を移動しているのだ。


創面が愕然と見守る中、穴の中から――カンッ!と一際高く下駄の音が鳴ったかと思うと、夢追がハイジャンプして穴の中から躍り出てきた。 「ちっ!」左手の鉄塊を成形し、夢追の体を捉えようとした創面であったが、「おっと!」夢追はバックステップで距離を稼ぐ。 逃がすまいと蛇のように鉄をうねらせ、夢追を包み込もうとするも、鉄の蛇は夢追の体に触れる前に制御を失い、動きを止めた。


「やはり能力射程が伸びたわけではないんですね」艶めく鉄の表面を興味深げに眺めながら夢追は分析を口にする。 「体から数メートルの距離までしか能力は伝わらない……と」手に持ったペンで鉄の表面をつつく。既に鉄は本来の硬さを取り戻し始めている。「そして……」 やおら背後の壁を蹴り、空中へと身を躍らせた夢追は体を反転させ、天井に「着地」した。社の移動補助である。


「その能力は物質の操作ではなく、動かすのはあくまで回転による加工技術。余程の力持ちでなければその量の鉄を重力に逆らわせるのは難しそうですね」 逆さまのまま夢追は天井を歩き、創面に近付く。「さあ!次はなんでしょうか!」その顔が紅潮しているのは血が逆さまの頭に集まっているからだけではないだろう。


「くっそ!」手元の鉄塊を再び回転成形し、天井の夢追を捕まえんとする。しかし巨大な重量ゆえか、能力射程ゆえか、鉄は天井まで届かない。 「先ほどの遠隔攻撃の正体はなんだったんですかねー?」頭の下で蠢く鉄を見上げながら、夢追は考察モードに入っている。 当たってくれはしないかと創面が放った投石器による軟化鉄球は全てひらりとかわされた。


「ああ!なるほど!」創面の持つ投石器を見上げ、夢追は合点がいったと頷く。「創面君は自分の体もその武器みたいに成形できるんでしたね!」 天井で手を打ち、ひとつ頷く夢追。「その左手!さては指先を細長ーくして鉄から床に潜行させて私の足元まで伸ばしていたんですね!それなら射程を稼げる!」


創面は秘かに目を見開いていた。その手があったか!『お前は体を動かす前にちったぁ頭も動かせよ……』 止める間もなく自分の宿である身体の一部を欠損させられ、ロクロは溜息をついている。そんな相手の様子に気付くそぶりもなく、 「分かったところでそろそろこちらからも行きますよ!」夢追が一声かけ、再びマフラーから何かを取り出した。今度はいかなる武器か。意外にもそれは古びた銅銭であった。


絶えず揺れ続け、ゆっくりと泥の中へ沈み続けるビルの一室。その空間を斜めに二つの視線が切り結ぶ。 「本当はあまり使いたくないものですが……今日はもっと身体操作を見せてもらいたいので」残念そうに夢追が言い、銅銭を頭の下、鉄塊へと落とす。 中空をくるくると回り、銅銭が鉄塊に触れたその時、それまでビルの振動にあわせて震えていた鉄塊が突如として硬化した。創面の能力が解除されたのだ。


社は転送能力の他、魔人能力解除・無効化能力を備えた神社の付喪神も内包しており、たった今、夢追が使用した銅銭はその神社の賽銭であった。


「なっ!?」相手を拘束するつもりが逆に左手を囚われた形となった創面に向かい、銀色の滑り台を滑るように夢追が駆ける。 「ぐっ!」右手の投石器を身体の前にかざして盾代わりにし、左手は再び能力を発動して手の周囲を軟化、慌てて引き抜く。 しかしその間に夢追は創面の眼前に迫っていた。斜めに伸びた鉄の斜面を駆け下りた夢追はそのままスライディングするかのように飛び蹴りを放った。


投石器がバキリと折れ砕け、創面の胸板に蹴りが命中する。「ぐぁっ!」しかし創面は咄嗟に自ら後ろへ跳び、その威力を半減させることに成功していた。 「ゲホッ」咳き込みながらも倒れることなく、飛び蹴り後の着地姿勢をとる夢追を睨みつける。 「真正面からの攻撃には素晴らしい反応ですね。特訓の成果ですか」立ち上がった夢追も創面に向かい構え直す。


「さすがにお疲れですか?」口数が減った創面の様子を見て、夢追が質問を投げかけた。しかし創面は答えない。 確かに疲労もある。左手の小指は失ってしまったし、鉄塊は幾本もの鉄骨で作ったもの。重さ数トンは下らない。 元々身体能力の優れた魔人ではない創面にとって、いかに「英検」による身体能力向上があろうと、ロクロの洗練された回転技術があろうと、操作にはかなりの力を使った。


しかし、それら以上に創面が口を閉ざしている理由がある。ひたすら呼吸を整え、一撃の力を溜めていたのだ。 相手の動きを捉えるのが困難であろうと、相手の能力が謎であろうと、一瞬の「隙」を突き、捕まえ、能力を叩き込む。 創面には夢追の「隙」を突く勝算があった。


「もっとイロイロ見せて欲しいんですよ!創面君にはもっと頑張ってもらいたいんです!」夢追は言う。創面は黙ったままだ。 「それじゃあもうひとつ、創面君への応援の気持ちを込めていっちゃいましょう」夢追が身にまとう空気を変える。創面の目が光った。


「遍く星は三角標。夢追汽車は――」


夢追が精神集中を始めた瞬間、創面は弾かれたように駆け出した。既に一撃の呼吸は完成している。 10歩ほどあった二人の距離が刹那にゼロとなる。創面は両手を差し出し、夢追の頭を掴みにかかった。 短い時間に二度、能力発動の様子を目撃し、夢追はその能力を発動する際に棒立ちとなることを創面は見て取っていたのだ。


――ガッ!二つの影が交差する。インパクトの直後、その場から吹き飛んだのは――創面の身体であった。 何者も反応できないと思わせるほどの速度でもって繰り出された創面の腕。しかしそれを超える速度でもって夢追の蹴りが創面の顔面を捉えていた。 夢追は精神集中した際、自分に攻撃を加えようとする相手に対し、先の先を取るカウンターを放つことで能力発動の隙を消す術を獲得していたのだ。


どんな相手のどんな攻撃よりも速く己の攻撃を叩き込む――夢追の伝家の宝刀、先手カウンターを喰らい、創面は床を三度回転した後、大の字に倒れた。 「あー……ごめんなさい。つい足がでちゃいました」足を見ると顔面を蹴った下駄の底が凹んでいる。どうやら創面は能力でダメージを抑えたらしい。 しかし意識は飛んだのか、ぴくりともせず仰向けで倒れたままだ。「無事ですかね?」靴を履き替えながら夢追が創面に歩み寄る。


「アァー……」倒れた創面から、地獄の底を吹き抜ける風を思わせるような声が漏れる。夢追は足を止めた。 床に倒れていた創面が、糸に釣り上げられでもしたかのように、身体を伸ばしたままむくりと立ち上がった。その様はまるで起き上がり小法師である。 「おおっ!ついにご登場ですか!」


夢追は足についた泥を払い、姿勢を正すと、起き上がった創面に向いお辞儀をした。 「改めまして、どうも。ロクロさん。希望崎学園報道部1年。年中夢中で夢追い中、夢追中と申します」 「アアァ……ドーモ、手芸者のロクロだ……フッフフフ」創面の顔を邪悪に歪め、ロクロは慇懃無礼にお辞儀を返した。



――――



目の前に迫るは巨体を揺らし、鋭い爪を振るう迷宮の脅威、ポイズンジャイアントパンダ。 奴子、まほろ、葦菜は互いに身を寄せ合い、決心をする。ここは袋小路。背後に逃げ道はないのだ。 「あたしが気を惹くわ……」葦菜が周囲に蜂を旋回させる。「私が……背後を取る」まほろが己の気配を最小に抑える。


奴子は白黒の巨体を見上げる。なんと強大な敵であろうか。だが、創面はこんな化け物に比肩しうる敵と闘ってきたのだ。 「姉として負けるわけにはいかないよね」手に持つ豆腐を硬く、硬く、握り締めた。



――――



「ちょいとお前に興味があったからなァ。こうして話せて嬉しいぜ……フフフ」「私にですか?」お辞儀を終え、開口一番にロクロは言った。 「お前からは俺と似たニオイがする。手芸者ソウルでは無さそうだが……何か宿してるンだろう?」「分かるんですか!」 「それも4つ……いや、5つか。しかも2つは神話級ってところだな。どうやってそんなに集めたのか興味深いモンだ」ロクロは夢追をしげしげと眺めた。


「物体の転送能力、姿勢の制御能力、能力封印能力……。複数のソウルがそれぞれの能力を担ってンだろう?」「はい」夢追はにこりと頷く。 「そして俺を顕在化させた……魔人能力の強化能力ってところか?それがお前自身の能力か。お陰で自由に身体を使える。フッフフフ」 両手をだらりと垂らしたまま、ゆらゆらとロクロは構えた。夢追も正していた姿勢を戦闘時のそれへと変化させる。


「能力を喰らわせてくれって頼まれたンじゃ仕方ないよなァ、ソメン。これは両者の合意ってヤツだ。フーッフッフ……壷のオブジェにしてやろう」 「それじゃあ……よろしくお願いします!」夢追の右手が空気を切り裂き、その手から鋼鉄製メモが放たれた。 同時に、メモを追うように夢追がロクロに向かい駆け出す。


「フンッ!」ロクロが前に出した右足で床を踏む。すると突如コンクリートの床がめくれ上がり、畳の形となってメモを防いだ。 「畳替えし!」目の前に立ち上がったコンクリート畳に歓声をあげつつ、向きはそのまま、跳ね上がって上空からの攻撃態勢に切り替える夢追。 「ハッ!」ロクロは鼻で笑うような声を出し、左手で畳の表面をえぐり、そのままえぐりとったコンクリート片を上空へと投げつけた。


飛来するコンクリート片は全て細く鋭く、待ち針となって空中の夢追を襲う。「おおっ!?」 タァン!空中を蹴り、放物線を描いていた自身の軌道を鋭角に変えて待ち針を回避した夢追は、そのままロクロの背後に落下着地。 「はっ!」振り向いたロクロの顔面を目掛けて回し蹴りが放たれる。しかしロクロは身体を軟化させてするりと蹴りをかわした。


「アァー……」その口から漏れる声は余裕の笑いか。身体を斜めに傾けたまま、夢追の顔を見返すロクロ。 夢追はさらに追撃しようと踏み込み、「っ!?」足を地面に取られた。踏み込んだ地面が沼地のように足先を飲み込んでいる。 ロクロが軸足の下を残し、周囲の床を軟化させていたのだ。先ほどの夢追とのやりとりはこのための布石、時間稼ぎであった。


体勢を崩した夢追の顔を、触れたものを豆腐のように握りつぶす死の握撃が襲う。上体を捻り、かろうじてロクロの右手をかわす夢追。 しかし、かわしたと思ったロクロの手は人間の関節構造を無視し、蛇のようにうねり、夢追の顔を追跡した。 「っ!!」回避できず、夢追は咄嗟に手に持つ鋼鉄製メモ帳を盾にして握撃を防ぐ。


だがロクロが左腕をろくろ首のように伸ばして己の背中を回りこませ、右手腋の下、夢追の死角からメモ帳を持つ左手首を殴りつけた。 「あっ!」夢追は予想外の攻撃に対応できず、たまらずメモ帳を放してバックステップし、ロクロから距離を取った。 しかしロクロは休む暇を与えず、右足の先を床にずぶりと潜らせるとそのまま蹴り上げる。


豆腐化したコンクリートの榴弾が夢追を襲う。それはさながら凶暴なグリーンドラゴンのペトロ(石化)ブレスだ。 「くぅっ!」避けきれない弾をマフラーではたきおとし、防御にまわる夢追。しかしロクロは休まずに榴弾を飛ばし続ける。 ロクロの足場が富士山のように残され、一帯がえぐりだされて陥没し、榴弾が無くなる頃には夢追のマフラーは前衛芸術家のオブジェの如く、奇妙に捻れたコンクリートの棒と化していた。


「ああ、マフラーが……」固まったマフラーを持ち直そうとして、夢追は己の左手が動かないことに気付いた。 目を向けてみれば、手首がU字型に曲がっているではないか。先ほどのロクロの打撃が原因である。「うわぁ」動かぬ左手を見つめ夢追は感嘆の声をあげた。 そんな夢追の様子を片目に、ロクロは手に残されたメモ帳をドロリと崩すと、それをそのまま口へと運ぶ。「アァー……ウマイ。トーフが染み渡る……」


「どうも癖で関節の可動域なんかを考えつつ動いてしまいますね」長いこと武術を修めてきた夢追にとって、軟体動物のように変幻自在のロクロの攻撃は脅威であった。 「近付けば足場を奪われ、離れればかわさなければならない石化攻撃。肉弾戦ではどうにもならないんじゃってくらいとんでもないですね」 お手上げと言わんばかりの発言をする夢追であったが、その表情は実に嬉しそうであった。


「地形操作といい肉体操作といい、素晴らしい能力制御ですね。もしかしてその能力って創面君のものじゃなくてロクロさんのですか?」 夢追の疑問に「いや。この能力はこのシスコンのモノだぜ」ロクロは即答し、不敵に笑う。真の手芸者とはその場にあるものを自在に使いこなせて当然なのだ。 「凄いものですね!これが手芸者!」手に持つペンをくるりと回し、夢追はいたく感心し、そして気を引き締めた。「これは私も切り札を切るときですね」


おもむろに夢追はペンの先を捻った。夢追のペンは鋼鉄製メモに文字を書き込むための掘削機じみた代物であるため、中にインクは入っていない。 ぶわりとペンの中から白い靄が広がる。転送能力を持つ社の囲炉裏の灰が詰められていたのだ。 靄の中から一振りの短刀が姿を現し、夢追の右手に握られる。「メモも無くなっちゃいましたし、これからは手も使わせてもらいます」白刃が煌く。


ペンを剣に持ち替えるや目に見えて集中力を増し、夢追は全身を刃のように研ぎ澄ます。夢追の切り札――それは普段メモのために戦闘に使用しない「手」を使うことである。 「フッフフ、俺としちゃァ面白いが……一発、既に喰らったろうが。満足じゃねェのか?」相手の左手を指差すロクロ。 「もっと思い切り!度肝を抜くように!決めてくださいよ!」刃をかざし、夢追は駆ける。


「夢追汽車は星降り走る。終着駅まで止まりません!」



――――



六畳一間の和室。創面は畳の上であぐらをかき、床の間に飾られた書道を眺めていた。 『健康そして安い』白い和紙に濃く、太く、力強く墨が踊っている。 「あれ?ここは――」自分の居る場所、自分が何をしているのか、思い出せず創面は困惑していた。


「ハッ!馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがここまでの大馬鹿とはなァ!」突然、横殴りに暴言が飛ぶ。 書道から視線を横に移せば、狭い室内、ちゃぶ台を挟んだ向かいにロクロが坐り、嘲笑していた。 「ソメン!お前はココで大人しく寝ていな!俺があの女を型にはめてきてやるからなァ」


ロクロの言葉で創面の記憶が呼び戻される。「ああ!そうだよ!俺、あいつに蹴飛ばされて……」 創面の記憶が鮮明になると、それに呼応するように部屋の障子戸が突然開き、外の景色が創面の視界に流れ込む。「なんだよこれ……」 部屋の外に見えるのは自分の能力を使い、夢追をあしらう自分の――いや、ロクロの姿だ。


「お前は大好きな姉貴のことでも考えてゆっくりしていな。フッフフ……」部屋の中にいるロクロが笑う。 『フーッフッフ……壷のオブジェにしてやろう』障子戸の外、創面の姿をしたロクロが笑う。 「お前……またそんな事を考えてやがるのか!お前の好きには……」「ハン!」創面の抗議をロクロは鼻で笑う。


「俺が好きにしてなきゃとっくにお前は死んでいたかもしれないぜ」「ぐっ!?」 「それにあの夢追とかいう女……脱出の準備だとか死んでもだとか、予め何か対策してあんだろう。マァ……俺の精神を表に出した能力の事も気になる。手心は加えてやるから安心してな」 「だが俺の身体で勝手に……」「お前がヤルより俺の方が手っ取り早いだろうが」


ロクロはちゃぶ台に肘を付き、身を乗り出して創面に不敵な笑みを向ける。 「……」創面は黙り込み、開かれた障子戸の先へ目を向けた。


障子戸の先では夢追とロクロが激しく交戦している。創面はただそれを見守ることしかできないのか。 ロクロの力は十分に知っている。確かに自分が戦うよりも良いのかもしれない。 だが、創面はロクロに守られているようなこの状況が我慢ならなかった。


ロクロの攻撃を夢追が空中で方向転換し、回避している。 空を駆ける夢追の姿に、創面は己を破った大会の対戦相手、不動を思い出す。 正面から戦い、敗れた相手。敗北。あれほど悔しい思いをしたことがあっただろうか。


「くそっ!」創面は憤る。俺はあの大会で何を得たというんだ。俺はこんなところで何をしているんだ。 幼かった頃、いつも周囲からいじめられ、それを姉に守ってもらっていた自分。 このままロクロの好きにさせていてはあの頃と何も変わらないではないか。


大会の一回戦を通し、自分を取り巻く環境の価値を知ったのではなかったのか。 二回戦を通し、ロクロの力を、そして敗北の苦さを知ったのではなかったのか。 池松とのLessonで、それを自覚したのではなかったのか。


このままここで大人しくしていては、大会で得たものを全て捨てるようなものだ。 かつての自分に逆戻りしてしまう。 のもじとの戦いで手芸の極意を垣間見たのはどうしたというのだ。


『もしかしてその能力って創面君のものじゃなくてロクロさんのですか?』夢追の声が部屋の中に届く。 ぴくり、創面の心がその言葉に反応した。 「フーッフッフ、あの女もお前より俺の方がお好みと見えるぜ?」ロクロの笑い声が癇に障る。


「……ふざけんじゃねぇ」創面は静かに怒りの声をあげた。「アァ?」ロクロが聞き返す。 「……駄目だ!やっぱりお前の好きにはさせてられねぇ!」声を大にし、創面は決然と言い放つ。 「なンだァ?」ロクロは訝った。


「俺はまだ何もやってねぇ!」創面は拳を握り締める。 どうしてもあいつの度肝を抜くようなことをしてやらなければならない。自分自身の手で。 自分が得たものを守るため。自分の大切なものをこの先守っていくため。そして新たにもうひとつ――


『もしかしてその能力って創面君のものじゃなくてロクロさんのですか?』夢追の言葉が耳の奥で再生される。 この言葉に、まさかこれほど怒りを感じようとは。これだけはどうあっても撤回させなければならない。 「アゲンスト・トーフは……俺の能力だ!」


物を柔らかくするだけのくだらない能力だと思っていた。 だが、大会を通し、その能力は自分にとって掛け替えのない価値あるものだと信じられるようになっていた。 大会が創面にもたらしたもの――それは創面に周囲の価値を気付かせ、己の内に居る手芸者の力を気付かせ、


そして、自分自身の能力に自尊心を持てるくらいに、自分自身の価値を気付かせた。


「お前がどうにかしたって収まらねぇ!俺が!あいつの事を見返してやる!」その怒りは奇しくも最大トーナメントを戦い抜くことを決意したときと同じものであった。 しかし、今はあの時と違うことがある。その思いに、大会の中で得たものが確かに存在し、一本の柱が通ったのだ。 空威張りではない、自分の価値を信じられる者の、自分の価値を守るための思いは誰にも折ることは出来ない。


「……フンッ、お前が姉貴の事以外でそこまで熱くなるとはなァ……また変な場所をもぎ取られたらたまったもんじゃねェしな」ロクロは溜息を吐く。燃え上がった創面を止めることはできない。 「いくぜ!」勢いよく立ち上がる創面だが「だったらまずは熱くなった頭を冷やせこの馬鹿がッ!」ロクロが静止した。


「何も考えずに突っ込んだら何も変わらねェぞ!」ロクロの言葉に創面は頷かざるをえない。 池松とのLesson、のもじとの野試合……それまでの単純に突き進むのではない、臨機応変・変幻自在の創造性によって希望を見出したのだ。 一旦落ち着くため、創面は畳の上にあぐらをかきなおし、英語の呼吸を始める。


「Coooooooooooo――――――――――」肉体、精神の制御を行い、頭がクリアになってゆく。 部屋の外では、短刀を持った夢追とロクロが激しく交錯している。


静かな心の中で、創面は己と夢追の戦力を分析する。 罠は通じなかった。接近戦も自分が不利。こちらの能力を常に覚えていく相手にこれまで見せた能力は通じないだろう。 ならばどうすれば相手の度肝を抜くことができるか――自分の創造性を見せられるか――


目をつぶる創面の心に大会での出来事が走馬灯のように流れる。


自分には小波のように罠をはることはできない。 自分には熊野のように相棒との連携をとることはできない。「ウルセェ」 不動……なんとしても次こそは自分が勝ってやろう。


池松先生の心身制御。のもじとの戦いで得た潜在意識下でのイメージの創造。 創面は静かに目を開いた。「ロクロ……教えて欲しいことがある」そして、静かに口を開いた。



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ポイズンジャイアントパンダの爪が迫り、それをまほろは危うくかわす。しかし体勢が崩れ、バックパックから零れた薬草(大根)がその爪に裂かれ無残な大根おろしに変わった。 慌てて距離を取ったまほろに葦菜が声をかける。「大丈夫?」しかし声を掛ける葦菜自身も疲労の色は隠せない。


これまでの敵と違い、相手は毒のブレスを吐く。葦菜の武器である蜂達がうかつに近づけないのだ。 「これは帰ったら保険室行き決定ね」敵の攻撃を避け続け、体中に擦り傷や切り傷が出来ている。 しかし希望崎学園の保険室は優秀であり、帰り着きさえすれば怪我などたちどころに治せるだろう。


「問題は……帰れるか……」のしのしと歩いてくる白黒の巨体を見上げ、まほろは呟く。 「帰るわよ!」葦菜が力強く答える。「そうね」奴子も頷く。そして敵を睨み、己の手に持つ豆腐を大きく振りかぶった。 「食べ物を粗末にする奴は豆腐の角に頭をぶつけて……死ねっ!!!」



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「あああああぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」突如の咆哮をした創面に、夢追は動きを止めた。 「おや、創面君がお目覚めですか」一旦、攻撃姿勢を解除し、夢追が訊ねてくる。 二つの小部屋の連結部、狭まったドアの無い戸口を挟み、創面は決意の視線を夢追に向けた。


「わぁ……やっと本気で能力を見せてくれる気になったんですね!」創面の意識の変化を感じ取ったのか、夢追が笑みを深める。 「一応、気にはしていたんですよ。ずっと乗り気じゃなかったみたいでしたから」手に持つ刃をきらりとかざす。 「戦う気になってくれて、自分は傷つく覚悟もしてくれて、それでも相手を傷つけずに事を済ませようって、そんな風に頑張っていたじゃないですか」


「おかしいかよ……」自分が傷つく覚悟と、相手を傷つけない覚悟――姉との約束を守る覚悟。創面の決めた覚悟は確かに甘いものかもしれない。 「いえ、素敵だと思いますよ!私、そういう少年漫画の主人公みたいな心がけ、大好きです!」そんな創面を夢追は嬉しそうに見つめる。 「私も大概、夢見がちですから」


「だけどな……俺にもいっぱしのプライドがある。……いや、あの大会でそんなプライドを持つことができた」創面は静かに言う。 「だから……お前には俺の能力をしっかりと見せ付けてやる」呼吸は整った。


「いくぜ!」創面は宣言した。 覚悟はできた。準備も整った。創面は最後の勝負を開始した。


創面はその場で匍匐の体勢になり、戸口の影に消えた。「おっ!?」夢追が慌てて戸口の裏を確認すると、 足元から壁に向かって床に赤い筋ができ、その筋が壁の中へと消えている。 「ずっと立っていたのは壁を抜けるためでしたか……」夢追は勢いよく壁を蹴り壊し、廊下に出る。


廊下には赤い筋が伸びており、創面の姿は既にない。「でもこの筋をたどれば……」夢追が歩こうとして、足を取られた。 「おっと」床が柔らかくなっており、進行を妨げている。 「なるほど……時間稼ぎは継続中、と。どんなものを見せてくれるのでしょう」ゆっくりと夢追は柔らかい床を進む。



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『相変わらずお前は大馬鹿野郎だな!』「絶対あいつに一発能力をぶち込んでやる!」 『まあ成功したら俺にとっても利益があるからな。協力はしてやる』「で、どっちだ!?」 『あの角だ!次は……』「うおおおぉぉぉーーー!!!」



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赤い筋をたどり、テナントスペースの中の広間区画についた夢追は、広間の中央に立つ太い柱の隣に出来た鋼鉄のかまくらを眺めた。 乱雑にブルーシートやマットレスが散らかり絶え間ない振動のために砂埃が宙を舞う広間の中、かまくらの前に創面は仁王立ちしている。 胸や腹を擦りつけながら移動したためか、その体表からは血が滴り、疲労のためか血の気の悪い創面の身体を赤く染めている。


そしてその血は精神制御により手を触れずして形を変え――赤い手芸者装束となって下半身を包んでいる。 「おお……衣服の創造……間近で見られるなんて素晴らしいです……」感嘆の声をあげる夢追の前で、 血で織り成された手芸者装束が創面の上半身も包み、完成された手芸者が今――ゆっくりと構えをとった。


「いよいよ本気の創面君が見られるという訳ですね。私のこの刃を……防いで見せてくれますか?」 夢追もまた戦闘の態勢を整える。 「ああ。防いで、見せてやるよ……これが俺のアゲンスト・トーフだ」創面は面頬の下から言った。


伸ばされた創面の手がかまくらの横に立つ柱へと触れる。ビル全体が凄まじい轟音を奏でた。 「まさか……」創面の行為と、周囲を包む壊滅的な音の意味を理解し、夢追は慌てた。 「ここ全部崩す気ですか!?創面君も生き埋めになっちゃいますよ!?」


建物の構造をロクロから聞き出し、柱を一本破壊すればビルがつぶれるという状況を作り出し、 その場所に鉄のかまくらを用意してその中に退避。ビルが壊滅した後に残るのは創面だけという手筈。 この広範囲地形攻撃ならば夢追にも対処は難しい。


「私もそこに避難させてもらいますよー!」状況を理解し、夢追は素早く駆け出した。 創面が待ち構えるかまくらへと一直線に走る。しかし、その行く手を周囲から飛来したマットレス達が妨害する。 創面の「回転」!回転が足の装束を伝い床に伝播し、そこにつながれていた鉄線と、その鉄線につながれていたマットを一気に巻き取ったのだ。


「っ!!」自分に襲い掛かるトラップを、夢追は持ち前の反射神経と運動能力により、全て微塵に切り伏せる。 その頃には創面とかまくらもあと数歩という距離まで走り込んでいる。 全ての時間がゆっくりと流れているかのような一瞬の中、自分に向かってくる夢追を見ながら創面は思いを馳せる。


こいつは能力を分析し、出来ることを素早く判断するからこそ、この状況でこちらに飛び込んでくるだろう。 そしてこいつは常に真正面から行動するタイプだとも分かっていた。正面から走ってくるだろう。 これまで全て想定通りだった。そして――


能力により、血を織り創りだした手芸者装束。自分のいる建物をそのまま破壊してしまう行動力。 鉄を操り、避難所を作る。回転の力で罠を生み出す。そんな様々なことをやってのけた創面が目の前にいる。 素敵な時間をありがとう、と喜び、創面に交錯しようとした夢追の耳が、その時、僅かな時間の中で確かに「速聴」した。


「お前、夢中になったら目の前しか見えなくなるだろ」


自分には拙い罠しか作ることはできない。囮になって、自分に敵の背後を取らせてくれるような相方もいない。 空を飛ぶこともできない。完璧な心身制御などできない。世界を変える能力などもっていない。 それでも自分には自分の能力がある。今ならはっきりと誇ることのできる自分の能力がある。


罠では駄目でも、正面衝突では駄目でも、ただ自分の能力を見せるだけでは駄目でも、 自分の中にある全ての力を使えば、夢追の動きを止めることができる。 全ての力に、己の創造性を加えれば――


夢追に一切の気配を感じさせることなく、そして夢追がトラップの迎撃でそれ以上攻撃が出せなくなっているタイミングを見計らって、 夢追に反応する暇も与えず、その影は夢追の身体を後ろから羽交い絞めにし、捕らえた。 「えっ」驚愕する夢追の耳に、己を捕らえる影の声が届く。


「フーッフッフッフ……ほらよ!ソメン!」目の前の創面に語りかけるその影。 それは漆黒の手芸者装束に身を包んだロクロであった。



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「いいか、英語の心身制御は切り離された身体も自分の一部と認識できる」「アァ」 「お前、俺の腕だけ勝手に動かしたりとかできたよな」「おい……オイオイ、お前まさか」 「俺が上半身、お前が下半身。足りない部分は野試合の時みたいに装束で補う」



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「早くやれェ!お前がやるってンだろ!」脅威の精密な造形により、声帯をも作り上げたロクロがはっぱをかける。 「ああ……」覚束ない下半身をなんとか動かし、創面はゆっくりと夢追に近付いていった。 「これは……分身の術っ!?」驚愕する夢追。腕だけでなく、足にも体重が掛かるように押さえつけられ、身動きが取れない。


「これが……」夢追の前に立った創面はゆっくりとその手を伸ばす。 指先が夢追の首筋に触れる。ずぶり、とその手が夢追の首にめり込む。「はぁぅ!?」その感触に夢追が呻き声をあげた。 そんな夢追を見据え、創面は下半身の足りない身体でなんとか言葉を搾り出した。「これが……俺の……アゲンスト・トーフだ!」


その声は、三人の頭上に降り注ぐ崩落したビルの轟音によってかき消された。



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倒れ伏すポイズンジャイアントパンダの横で、奴子、まほろ、葦菜は荒い息をついていた。 「何とか……やったね……」奴子の声に、「まあ、あたしにかかればこれくらい……はぁ……」葦菜が答える。 「宝箱、開けますね」まほろが死闘の戦利品に手を伸ばす。


「あれ……」宝箱を覗きこんだまほろは疑念の声を出した。「何よ?」葦菜も宝箱へと近付き、 「はあぁー!?何よそれぇ!?」声を荒げた。「何であんなに苦労したのに!」宝箱の中には薬草が入っていた。 嘆く葦菜の横から奴子が顔を覗かせ「待って!これ、立派な薬草だよ!」歓声をあげる。


幼い頃から食に携わる仕事と触れ合ってきた奴子には分かった。その薬草が非常に貴重なものであることが。 「何それ、珍しいの?」葦菜の言葉に、「見つけたら自慢できるくらい珍しいよ!」奴子は答える。 「へぇー!なにそれ!やったわね!」自慢できると聞いた途端に葦菜は元気を取り戻す。


「それじゃ凱旋するわよ!」迷宮探索の成果に満足し、早速帰り支度を始める葦菜を見ながら、 「それって美味しいんですか?」まほろが奴子に質問する。「凄く美味しいよ」奴子は答えながら夕食の献立を考える。 「大根と豆腐の味噌汁は決定ね」「あれ?弟さんって豆腐が苦手なんじゃなかった?」


奴子は創面のことを思い出しながら苦笑する。「それが最近になっていきなり豆腐を沢山食わせてくれーって言い出して」 「へぇ……」不思議そうに首をひねるまほろを見返し、「やりたいことがあるーとか、そんなことも言い出すし、なんだか最近創面も成長してるんだなって」 寂しさのような、それ以上の嬉しさのような、複雑な表情を浮かべる奴子をほほえましく見守るまほろ。


「ほらーっ!さっさと行くわよー!」葦菜の元気な声が薄暗い迷宮を明るく照らした。



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古めかしい日本家屋の座敷。土壁と飴色に染まった木戸、しっとりとした色合いの畳。和の空間。 そこに敷かれた布団の上に、二つの人影が重なり合っている。 「ぁはっ……首に……ずぶっと……」声をあげているのは夢追。そしてその上に覆いかぶさっているのは創面。


「……ぐ……」創面はまともに声を出すこともできず、夢追の身体の上で倒れたままだ。 それもそのはず。創面の下半身は綺麗に分離し、布団の脇に転がっている。 ビルの崩落の瞬間、夢追が懐に忍ばせていた社の転送能力――脱出の手段といっていたものによって二人は即座にこの夢追の屋敷へと転送された。


しかし転送では出来る限り身を軽くする必要があるのか、創面の手芸者装束は転送されることなく、 海パン一丁の状態で上半身・下半身がぼとぼとと布団の上に送り込まれた。 切断面は豆腐化することで出血は無いが、正直なところいつ死んでもおかしくない状態である。


『馬鹿野郎が……オイ、ソメン!足が動かせなくなってるぞ!しっかり心身制御をしろ!』 ロクロの罵倒が創面の頭に響くが、しかしいくら意識を集中させても下半身に意識を向けることができない。 そもそも創面には池松ほどの心身制御能力は未だ備わっていないため、長時間に渡って意識を通わせる事に成功していたことこそ奇跡であったのだ。


「あぁ……社……お願い……」まるで酩酊状態のような夢追がうわ言のように呟くと、 創面の下半身を布団がくるみ、上半身の下へと位置を調整して運んできた。 続いて、上からばしゃりとかけられる謎の液体。


「っ!?……あああぁぁぁーーー!!!???痛ってぇぇぇーーー!!!???」創面は大声を上げた。 かけられたのは薬草の絞り汁であった。驚異的な回復をもたらす薬草ではあるが、それはとてもしみるのだ。 試しに大根おろしを傷に塗った場合を想像して欲しい。その痛さが少しは理解できるではないだろうか。


「大丈夫ですかぁ……?」「痛ってぇ……くっそ……ああ、でも身体は繋がったのかよ……」 間延びした夢追の声に、呻きながらも創面が答える。 「まさか身体を分離してそれぞれに装束を纏わせるなんて……素敵でしたよ」夢追は満足げな笑みで創面を見る。


「あと」夢追が不意に思い出したように真面目な表情を作った。「今更ですが言っておきたいことが」かしこまった声を出す。 突然、雰囲気の変わった夢追を見て、創面は今度は何かと身構える。 「あの……やり過ぎてしまい申し訳ありませんでした」まさかの夢追の謝罪に、創面は唖然とした。



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なんでも――今回の発端はやはりというか小野寺塩素。創面の試合映像を見てその能力を非常に気に入っていた夢追に対して、 それなら間近で能力を見せてもらいにいってはどうかと塩素が提案したらしい。 場所の指定やらお膳立ても全て塩素によるものだ。


そして、夢追に対して「交渉」を持ちかけた。この際だから自分の能力も喰らってみないか、と。 気になっている創面の能力を見せてもらうという仕事を遂行するだけなので、それなら喰らったって良いのではないか、と。 そうして、その「交渉」を受け入れた夢追が創面の前に現れ――


「その……歯止めが……ぇと……はぃ……」口をもごもごとさせる夢追を見て、創面は溜息を吐いた。 相手の行動・思想を操作する塩素の能力により、創面の様々な能力を見るため手段を選ばない行動に出ていたという訳だ。 「いくらで受けたんだよ?」「……500円です」「俺500円で死に掛けたのかよ……」



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とりあえず身動きが取れるようになた二人は客間に移動した。創面は出されたお茶をすすっている。 お茶を出し、謝罪の言葉を延々と並べた後、夢追は言った。「それと、今日は本当にありがとうございました。素敵な能力を見せてもらいました」 その言葉を聞き、ふと創面は思ったことを口にした。「そういえば、なんで俺の能力をそんなに見たがったんだ?」


「だって、物凄い能力じゃないですか!アゲンスト・トーフ!予想通り、いえ、それ以上に素晴らしいものでしたよ!」 嬉々としてそう答える夢追に、創面は眉根を寄せる。「物を柔らかくする能力ってのはそんなに珍しいものなのか?」 「いえいや、何を言っているんですか!」


「創面君の能力は『物を柔らかくする能力』だなんて生易しいものじゃありませんよ!私流に言い直しますと」溜めを作り、 「創面君の能力は『あらゆる物を破壊し、再成形する能力』です!破壊と創造をつかさどるレベルですよ!EFBだなんて目じゃない。神話級能力です!」 夢追はそのきらきらとした眼差しをまっすぐに創面へ向け、その能力を褒め称えた。


「あー……そっか。まぁ……ありがとうな」純粋な褒め言葉を受け、なんと言っていいか悩んだ末に、創面はそう答えた。 『その確認のために殺されそうになったってのになァ。よく感謝の言葉が出るもンだ』「黙れよ」ロクロの茶々が入る。 『アァ……もしかして今日こそ小野寺にはっきり言ってやるってのはまさか』「うるせえ!」


「そういえば」ロクロとやり合っていた創面は、小野寺という名前を聞いて疑問をひとつ思い出す。 「そもそも小野寺は何でこんなことを仕込んだんだ?」創面の疑問に、うーんと唸った後、夢追が答えた。 「実は……私は魔人能力を褒めるのが上手いらしくて、それで創面君に自信をつけさせてやってくれないかと」


夢追は続ける。「大会でも素晴らしい実力を見せてくれたし、優勝できなかったとはいえ、胸を張っていい結果だから落ち込まれると困る、と」 「……はい!!!???」創面は今日一番の驚愕の表情を浮かべた。あの小野寺塩素が……自分に……そんなことを?


「ご、ごめんなさい。そう言ったらとても愉快な表情を見られるだろうから言ってくれって木村さんに言われました」 「くっそぉぉぉ!!!」一瞬でも信じそうになった自分を全力で呪いたい創面であった。



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いつの間にやら回収していたという脱ぎ捨てたままにしていた服を受け取り、着替えを済ませ、家路につかんとする創面。 そんな創面に、夢追はああそうだと思い出したように声をかける。 「そういえば、創面君はお姉さんの事が大好きなんですよね!」「だ、誰が……ぐっ……そ、それがどうした」今までのように突っぱねようにも、大会で姉好きを公言した身では虚しいだけである。


「お姉さんと、是非、今後とも仲良くしていってください!言われるまでもないんでしょうけど!」にこやかに夢追が言う。 「あ、ああ」顔を赤らめつつ、創面はなんとか返事をした。そのままでは居心地が悪いと、気を紛らわすようにこちらからも質問を返した。 「……あんたも姉がいるのか?」「いえ」夢追は笑う。「でも、お姉さんのように私を大切にしてくれている人がいます。だから」「そっか」創面は姉の顔を思い浮かべた。早く帰って姉の作った料理を食べよう……。


「それでは」別れの握手に差し出された手を、創面は握り返す。何とも酷い一日であったが、それでも得たものはある。 自分の能力へ自分が掛ける思いと、そんな風に思いを掛けるものを褒められたときは――実に気持ちいいものだということ。 自分を取り巻く環境と、自分の中に居る存在の力と、そして自分自身の力を知った創面は思う。


これから待ち受けるであろう強大な敵にも自分は立ち向かっていけると。 そして、自分の大切なものを、家族を、姉を、絶対に守り抜こうと。 創面の胸は、姉の奴子の豆腐のように硬く、硬く、その決意を包み込んだ。


「あの、それともうひとつお願いが……」「なんだ?」「このまま私の身体をいい感じに柔らかくしてもらえませんか?ぷるぷるーって」 (こいつ……ずっと素だったんじゃねーのか?)



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報道部室のPCディスプレイに転送された画像が映し出される。 そこには布団の上で重なり合う創面と夢追の写真と、ミッション終了の文字が並ぶ。 印刷された写真を見て、小野寺塩素はその澱んだ瞳を細めた。


ひらりと写真がPCデスクの上に置かれる。そこには広げられた新聞紙が一部。 見出しには「無人の埋め立て区画、突如の崩落」「近隣住民から不安の声」「放置状態見直しへ」といった扇動的な文書が踊っている。 塩素は携帯電話を取り出し、通話先の相手と商談を始める。


「ええ――ええ――それでは予定通り、再開発はそちらが一手に担うということで――」 窓の外を眺める塩素のその目には、はたして何が映っているのか。その心は計り知れない。 「ええ――あのような一等地をいつまでも野晒しにしているのはもったいないですから――」


通話を終え、塩素は改めて写真を手に取る。
「折角の手芸者ですもの。簡単には手放せませんからね」


総ては小野寺塩素の掌の上――写真に写る創面は、塩素の視線に気付いたか――