理性を奪うもの

薄暗がりの中、淫靡な水音と猥らな嬌声、艶かしく白い肢体、そして鼓膜を震わす虫の羽音が互いに絡み合い、妖艶に踊る。
蜂使いの埴井ホーネットは、自室でパートナーの蜂達と退廃の狂演を催し、極上の愉悦を味わっていた。
雌の体に快楽を与える為に調教され、その性技術を特化させた蜂達は、主人の求めに応じ、その柔肌を、幼げな乳房を、溢れる蜜壷を、心を愛撫する。

「あっ、みなさん、あぁっ、もっと、あっあっ……」

雪花石膏の如きホーネットの肌を蜂達はその足で優しく刺激し、甘噛みし、強く官能を刺激する。
全身を這いずる蜂からの刺激に応えるように、ホーネットは首を反らし、喉を震わせ、甘い吐息を漏らす。
体中をくまなく、絶え間なく弄る蜂達の技は、喰らった者の思考を悦楽でドロドロに熔かし、全身が性感帯になったかのような錯覚すら齎す。
いや、それは強ち錯覚とも言えない。
そもそも人間の体に性感などという感覚器官は存在せず、ただ触覚からの刺激と、それによって引き起こされる興奮を持ってして性感と呼んでいるに過ぎない。
つまり、人の体は隅から隅まで、刺激によって興奮を呼び起こすことさえ出来れば性感を得ることが可能なのだ。
よって、蜂達に全身をもぞもぞと這い回られ、擦られ、摘まれ、甘噛みされるホーネットは今、正にその未成熟な肉体全てを性感帯へと変えて愛撫の波に沈溺していた。

「ふぁっ、あぁっ、ぁっ……」

双丘の頂にある桜色の蕾を攻められ、熱を帯びた声が出る。

「くぅっ、ぅんっ!」

零れだす蜜を掬い取られ、声が跳ねる。

「あぁぁっ、あっ!」

羽ばたきによる高速の刺激が秘められた肉襞を刺激し、高められる。
絶頂への階段を一足飛びに駆け上がりながら、ホーネットは胡乱な頭で考える。

――私は何でこんなことをしているんでしたっけ。

喜悦の嵐に激しく振られ、断続的に明滅する思考を過去へと遡らせる。
こんなことをしている理由、それは――





――

――――

――――――





――だめぇっ!なにも考えられないっ!





――――――

――――

――





昂ぶる体の熱に翻弄され、ホーネットは思考を手放した。
蜂達は的確に主人の体の熱を導き、より大きな波を創り出す。
ホーネットの意識には白い靄が掛かり、只々、与えられる愛を貪る。

「あぁっ!あぁぁっ!まって、あっ、いてくだ、あっ、さいっ!あぁっ!夢追さんっ!あっ!」

激しく喘ぎながらも、ホーネットは何事かを口にした。

「あっ!今から、あぁぁっ!今からそちらへ、あぁっ!い、あっ、い、あぁっ!!」

――今からそちらへ……

膣内の蜂達が一斉にその羽を羽ばたかせ、ホーネットの内部を震わせる。
同時に、蜜の泉を囲う蜂達が、花弁を、芯を、強く刺激する。
ホーネットはこれまでにない刺激を受け、腰を浮かし、その華奢な体を弓なりにして痙攣させ、ひくつく喉から絶頂の歓喜を迸らせた。

「い

それではホーネットと蜂達が盛り上がっている内に、これまでの経緯を説明しておこう。





――

――――

―――――





埴井ホーネットは悩んでいた。
埴井養蜂場を世界に広めるための新たなアイディアはないものかと。
確かに自分達が作る蜂蜜は誰にも負けないものだという自信はある。
しかし、質が世界一ならば即ち世界一になれる――養蜂の世界にそのような甘い幻想は通じない。

といっても、誤解してはいけない。
決して埴井養蜂場の売行きが悪い訳ではない。
むしろその品質から一部の固定客をがっちりと捕まえ、安定した収入を得ている。
だが、ホーネットの薄い胸に宿る養蜂への情熱は、それで満足できる程度のものではなかったのだ。

より前へ。新たな一歩を。
そう――ホーネットは埴井養蜂場の新たなる商品を生み出そうと悩んでいた。もちろん、パートナーである蜂達と、また触手達と共に。

時に蜂達と多くの刺激的な意見を交姦しあい、
時に触手達と激しい姦情のぶつけ合いをして、
時に睡眠時間を削ってまで姦々諤々の議論を続け、
日夜、埴井養蜂場従業員一同が一丸となって、全精力を傾けた闘いを繰り広げていた。

そんな時期だったからこそ、ホーネットが疲労からうっかりと蹴躓き、手に持つ試供品を落としてしまったとしても仕方がないことだったと言えよう。
それが客先への訪問販売中の出来事であり、そこが予め媚薬の類はいらないと言われていた場所であり、持っていた試供品が正にその媚薬だったとしても。
さらにその自分の失態の結果、件の落とした媚薬が元となり、お客様の身にすったもんだの大騒動が起こったらしいという話を親類から伝え聞かされたとしても。

「いいわけないですよっ!!」

まあ、そうは言ってもホーネット本人がそのように気楽に考えられるはずもなく。
今日、こうしてホーネットは誠心誠意気合を入れて、騒動のあったという客先へ謝罪に訪れたのである。
変な失敗などしないよう、蜂達を事前に賢者モードにするという入念な下準備をして。





――――――

――――

――





純和風という言葉がいかにも似合う、白木作りの大きな門の下に立ち、ホーネットはひとつ大きく深呼吸をした。
こここそが今回のホーネットの目的地にして埴井養蜂場固定客の一人、夢追中の屋敷である。
世界一の養蜂場を目指す者として、これ以上の失敗は許されない――ホーネットは覚悟を固め、

――いきますっ!

心の中、自分自身に喝を入れて、目の前の門を潜ったのであった。


***


「埴井さん、いらっしゃい」

「どうも、お邪魔します」

ホーネットを出迎えたのはこの屋敷の警護をしているという人物。
「優しそうな大人のおねえさん」という印象のこの人は、確か夢追さんは「さがみさん」と呼んでいましたっけ、などとホーネットは考えながら挨拶を返す。
初めてこの屋敷に訪れた際、ホーネットはこの人物に「埴井様」と呼ばれて、逆に畏まってしまったものであったが、それでは緊張してしまいますというホーネットの言葉を聞いた夢追が何やかやと提言した結果、現在の「埴井さん」という呼び方に収まったであった。
そういえば夢追さんのことも初めは「お嬢様」と呼んでいたけれど、あの時から「かなめちゃん」に変わっていましたっけ、きっとオンオフをきっちり分ける真面目な人なんですね、お仕事もしっかりできるんだろうなー、などとホーネットは重ねて過去の情景を思い出していた。

閑話休題。

さて、今ホーネットの前にいるのは、そんな出来る大人の女性であるはずのさがみさんであったが、今日はどうにも様子がおかしかった。
ホーネットに対して、さてどうしようかしらといった風に、明らかに困った表情――あるいは申し訳ないといった表情だろうか――を浮かべているのだ。
そんなさがみさんの表情を見て、何かあったのだろうかとホーネットも困惑してしまう。
取り合えず来訪の理由を告げるホーネットに、さがみさんはそれはご丁寧にありがとうございますと前置きを言い、しかし続けて不穏な言葉を口にした。

「わざわざ来てもらって申し訳ないのだけれど……」

普段のキリッとした様子からは想像できない、語尾を濁らせたさがみさんに、ホーネットの不安は膨らんだ。
さがみさんは既に何度も言葉を交わし、その所作を見てきた相手である。
そしてその所作はいつも大人の落ち着きを見せ、とても頼もしそうに思える人物であった。
実際、夢追の口からも「さがみさんはいつでも頼りになる凄い人」と聞いてもいる。
そんなさがみさんがこんな表情を見せるなんて――

「夢追さんに何かあったんですか!?」

ホーネットは思わずそう聞いていた。
この人がこんな姿を見せる原因といったら主人である夢追に関することだろうと、ホーネットにはそれしか予想できなかったからだ。
何かあったのだろうか、まさか話に聞いていた大騒動というのが未だ尾を引いているのだろうか、そんな不安がホーネットの胸を締め付ける。

夢追中――普段は元気一杯で、持病の発作が出ているときはちょっと寂しそうで、いつも礼儀正しい、全速前進タイプの女の子。
甘いものが好きだという彼女は、ホーネットの従姉妹であり、彼女にとっては友人である埴井葦菜の紹介で埴井養蜂場の蜂蜜を購入し、そしてそれがいたく気に入ったらしく、以来、埴井養蜂場のお得意様となっている。
また、訪問販売の際にはいつも共通の話題である埴井葦菜のことで盛り上がり、今ではホーネットにとってただのお客様ではなく、友人の一人でもある。
もしも友人の身に何かあったというのなら、しかもそれが自分のミスによるものであるとするなら――ホーネットは居ても立ってもいられぬ気持ちになっていた。

しかし、思い詰めた表情のホーネットを見たさがみさんは、ああ心配しないでと表情を和らげた。

「そんな深刻な話じゃないのだけれど……」

ホーネットを安心させるように優しげな表情と声音になるさがみさんであったが、しかしてその発言は最後まで言い切られることはなかった。

「おぉー!ホーネットさん!」

ホーネットの気を揉ませていた当人、夢追が大きな声をあげて走ってきたからである。
元気な夢追の様子を見てひとまずほっと胸を撫で下ろしたホーネットだが、その後すぐに、さがみさんが何を困っていたか知ることとなる。
ホーネットの元まで走り寄った夢追が、なんと、そのまま勢いよくホーネットに抱き付いたのだ。
ひぇっ、と妙な声がホーネットの口から漏れる。
突然の事態に硬直しつつ、ホーネットは状況を把握しようと頭を巡らせた。

今、自分に抱き付いているのはこの屋敷の主であり、お客様であり、友人の夢追中――いつも元気一杯で、それでいて礼儀正しい、全速前進タイプの女の子――の、はず。
……あれ?この子こんなキャラでしたっけ?

しかし残念なことに、ホーネットが巡らせた頭で考えられたのはそれだけであった。
さっぱり頭が働いていないと、ホーネット自身も自覚できる程度の状況分析力である。
しかしまあ、そんなホーネットでもはっきりと分かることがひとつあった。

「えへへー、いらっしゃい!」

甘えるような声を出して胸元から自分の顔を見上げる夢追と――
ごめんなさいねと申し訳なさそうに謝罪するさがみさんを見て――

なるほど、どうやら何か大変な事態になっているようですね、とホーネットは天を仰いだ。


***


屋敷の母屋に通されたホーネットは、一通りの現状をさがみさんから聞いた後、何はともあれ来訪理由である自分のミスに関する謝罪を述べたり、いえいえこれからもよろしくお願いしますという返答を頂いたり、そんな事務的な作業を全て終えて――
現在、客間で夢追と二人、ちゃぶ台を前に並んでお茶を啜っていた。因みに屋敷の母屋は完全に和風であるが、出されているお茶は紅茶である。何ともアンバランスであるが、お茶自体はいつも非常に美味しいので、ホーネットに文句はない。
とりあえず肩の荷が下りたホーネットは、熱いお茶にふうふうと息を吹きかけ、ずずっと一啜りする。うん、美味しい。
そして隣に座る夢追にちらりと視線を送ると、それに気付いた夢追がにこにこと満面の笑みを返してきた。

「驚いちゃいましたよ」

「んんー、それは申し訳ないですー。あ、美味しー」

落ち着きを取り戻した気持ちと共に吐き出したホーネットの言葉に、にこにことしたままの夢追が返事をし、お茶を啜る。
初めは何事かと思っていたさがみさんの様子と夢追の変調だが、話を聞いてみればなんということはない。
要するに、

「酔っ払っているだけ……ですか」

「えへへー、そうなんですよー」

そう、ただ単に夢追が酒に酔っ払っているというだけのことであった。
何でも、さがみさんは普段酒を飲むことはないが、甘口のワインを何本か、自室に寝かせているらしい。
それに興味を持った夢追と、夢追の親友である体の大きな鷹さんが、同じ銘柄のワインを探してきて、こっそり酒盛りをしたのだそうだ。
まあその結果が、

「これですか……」

「いやー、面目ないですー」

普段からテンションの高い夢追であるが、さらに上機嫌そうにからからと笑っている。
まあ楽しそうだからいいでしょうか、とホーネットはうなずき、自分を納得させることにした。
そもそも夢追が酒にあまり強くないことをホーネットは以前から知っていた。
だから、今回も酒盛りをしたという話を聞いて、ああと納得するところもあった。
ありはしたが、ただ、ひとつだけホーネットの腑に落ちないところがあった。
それは、

「夢追さんって泣き上戸なんだと思ってました」

「うぅー?」

その一言に、不思議そうな顔をして、不思議な声を発する夢追を見ながら、ホーネットは少し前の出来事を思い出していた。
夢追が泣き上戸だと、ホーネットの頭にインプットされることになったあの日のこと。
そう、夢追が酒に強くないことをホーネットが知ることになった出来事を――





――――――

――――

――





その日、いつものように夢追の屋敷へ訪問販売に訪れたホーネットを出迎えた夢追は、普段の身軽な服装ではなく、ゆったりと落ち着いた和装であった。
今日はどうしたのかと聞くホーネットに、病気の発作で右腕が動かないから、家で大人しく過ごしているんですと、力ない笑みを夢追は見せた。
その笑い顔に、いたたまれない気持ちになったホーネットは、いつものように通された客間で、しかしいつもとは違い、片手の使えない夢追に代わってお茶を淹れることを進んで申し出た。

その申し出にありがとうございますと幾分明るく笑う夢追を見て、ホーネットはよしやるぞと気合をひとつ入れ、紅茶葉の入った袋の封を切り――
出来上がったのは、普段出されているお茶と同じものだろうかと疑いたくなるような、味も香りも弱いものだった。

新しい茶葉でしたから最初は淹れるのに失敗しても仕方ないです、今回のは特に気難しい類だったかもしれませんしと、夢追を慰めるつもりが逆に慰められることになり、ホーネットはがっくりと肩を落とした。
美味しいお茶を淹れてあげたかったんだけどとこぼすホーネットを見て、それならば香り付けにブランデーを入れたらいいですよと夢追は言った。
香りの強くない紅茶には、ブランデーを入れることで香りを補い、そうして美味しく飲むことができるんですと語る夢追に、へーそうなんですかーとホーネットは感心した。

そして、ティーカップにどぼっとブランデーを注ぐホーネット。
一滴でいいんですよーと慌てる夢追。
ごごごごめんなさい、いえいえ言葉足らずでした、これどうしましょう、まあブランデーも飲み物ですから大丈夫ですよ、云々。
終始和やかなやり取りの後、二人はブランデーたっぷりの紅茶を飲み、そして、

「うぅぅ……ホーネットさん……」

「あー、よしよし」

「ホーネットさんはいなくなったりしませんか……ぐすっ」

「大丈夫ですよー。安心してください」

「そう言ったあの子もこの前のハルマゲドンで死んじゃったんですよー!」

「わ、私は大丈夫ですよー」

酔っ払った夢追に思い切り泣き付かれたのであった。





――

――――

――――――





あの後、鷹さんが救援に来てくれて、なんとかなりましたけれど……ホーネットは、あの時はどうしたものかと焦ったなぁ、と昔日に思いを馳せた。
そんな遠い目をしているホーネットを眺めながら、あのときは酔っ払って泣いて、いまは酔っ払って笑っていることについて、あーそれはですねーと夢追が説明を始めた。

「えーっと、私は酔っ払うと理性のブレーキが弱くなるみたいでしてー」

どうやら、夢追の説明を要約すると、酒を飲んだ夢追はとにかくテンションがハイにせよローにせよ、振り切れるらしい。
テンションが上がるか下がるかはそのときの夢追のテンション次第とのことで、まあつまり、発作時の夢追が酔っ払えば泣き上戸、平時の夢追が酔っ払えば笑い上戸になるという訳だ。そしてどちらも抱き付き癖のおまけつき。
因みに、抱き付き癖といっても本人が好意を持っている相手にしか抱き付きませんけれどね、とは、首筋にがっしりとしがみ付かれて照れ照れとした声を出していた鷹さんの弁である。一応、酔っ払っても仲の良い相手の前でない場合はなんとか理性を保つらしい。

「まあ……事情は飲み込めました」

「えへへー、それは良かったですー」

事態をすっかり飲み込み、胸のつかえもなくなったホーネットはずずっとお茶を啜る。
夢追もにこにことしながらお茶を啜る。

酒は飲めども……なんでしたっけ、何かことわざでありましたよね、などとホーネットはしみじみと考える。
酒とは何とも恐ろしいものである。

でもまあ――

自分の隣でにこにこと笑う夢追を見て、こういうのもいいのかもしれませんね――そう、ホーネットも笑顔になった。
その後、夢追の酔っ払いハイテンションにも慣れたホーネットは、ちょっとした世間話をして、穏やかなティータイムを過ごした。


***


「それでは夢追さん、私はそろそろ」

お茶も飲み切り、話も終えて一息ついたホーネットは、用事も済ませたことだしそろそろお暇しようかと考え、そう切り出した。

このまま話が終われば、この物語は平穏無事な日常の一幕を切り出したものになったであろう。
しかし、この物語の主役達を今一度思い出して欲しい。

変態が丘の超新星――埴井ホーネット。
凄いことが起きないなら自分で起こせばいい――夢追中。

この二人が揃って、物語が変事なく終えられることがあろうか。いやない。
ここからは、平穏などという言葉とは縁もゆかりもない、激動の物語の始まりである。
つまり、

そのとき、事態は風雲急を告げる。


***


「待ってくださいホーネットさん!」

立ち上がろうとしたホーネットは、横合いから夢追に抱き止められた。
いや、それだけではない。そのまま思い切り体重を預けられ、バランスを崩したホーネットは重力に逆らうこともできず、背中と畳に感動的な抱擁をさせることになった――ありていに言えば、夢追に押し倒されたのである。
畳の上で女の子座りをしていたホーネットが突然横倒れしたものだから、ホーネットのスカートはめくれ、当然の帰結として、ぱんつをはいていないホーネットの秘所がちらりとあらわになる。
その衝撃で、膣内にいた蜂達が何事かと外へ飛び出し、自分達の主人が主人の友人に押し倒されている光景を確認した。

「へっ!?夢追さん!?」

突然のことに驚きの声をあげるホーネット。
蜂達も止めるべきなのか放っておくべきなのか判断に迷い、ホーネットからの命令を待って周囲で待機している。
しかし、そんなホーネットと蜂達の戸惑いをよそに、ホーネットの体に覆いかぶさっていた夢追がさらなる衝撃的な発言をした。

「ふふふ……ホーネットさんのひ・み・つ、今日こそは色々と見せてもらいたいなーって」

そう言ってホーネットを見つめる夢追の目は、はたして獲物を狙う肉食獣のそれであった。
何が何だか理解が追いつかず、蜂達への命令も忘れ、それでも防衛本能から身をよじって夢追の下から逃れようとするホーネットを、しかし夢追はホーネットの肩に軽く手を添えるだけで押し止めてしまった。

「逃がしませんよ」

ニヤリと笑い、そうさらりと一言投げ掛けた夢追は、さらに流麗な動きでホーネットの足をまたぎ、いわゆるマウントポジションをとった。
訳も分からず怯えるように身をすくませ、自分の上に乗っている夢追を見上げるホーネットを見つめ、夢追は舌なめずりをせんばかりの笑顔を浮かべて口を開いた。
その口から出される言葉は一体どのようなことを自分に求める内容であろうか、ホーネットはかつて激しい戦いを生き抜いた変態が丘に集った猛者達のことを思い浮かべた。

媚薬はいらないと言われていたし、夢追さんはてっきりノーマルな人だと思っていたのに、まさかずっと私を襲う機会を狙っていたのでしょうか。
大声を出せばさがみさんが聞きつけてやってくるでしょうか、いえ、あの人は夢追さんの味方でしょうから見て見ぬふりをするかもしれません。
こうなったら友人であり、お客様である夢追さんとはいえ、みなさんに頼んでこの事態を――必死に思考を巡らせていたホーネットであったが、

「だぁって、ホーネットさんの魔人能力、まだ見せてもらったことないんですよー。見せてくれたっていいじゃないですかー」

夢追の口から発せられた言葉に、ホーネットは思わずずっこけそうになった。いや、こんな体勢でなければずっこけていただろう。
そういえば夢追さんは魔人能力を見るのが趣味なんでしたっけ、とホーネットは詰めていた息を吐いた。
しかし、魔人能力を見せるとなるといくつか問題がある。
まず、初めてこの屋敷を訪れた際に、さがみさんから屋敷内で魔人能力を使わないよう忠告を受けているのだ。何でも、うかつにこの屋敷内で能力を使ったら、日本刀が飛んでくる恐れがあるらしい。防衛システムだろうか。
他にも問題はあるが、とりあえずはこのことを言って何とか夢追を落ち着かせようと、ホーネットは考えた。

「その、私も魔人能力を見せたいのはやまやまですけれど……」

だが、ホーネットの発言を最後まで聞き終える前に、夢追は不意に上体をホーネットに密着させ、立て膝をついていた足をホーネットの足に絡ませた。
武術の心得があるわけではないホーネットには何が起こったのかさっぱり分からないが、自分の足首が夢追の足首によって絡めとられ、一切の身動きが取れなくなったことだけは分かった。
夢追の胸が自分の胸にぎゅむと押し付けられる感触に、ああやっぱり胸の大きさはこれくらいが一番ですよね、あでも大きいのに憧れないといったら嘘になるかもなどと、一瞬激しい思考の脱線をしたホーネットであるが、何とか意識を現実に呼び戻す。
上半身も下半身もぴったりとくっつき合っている。そんな密着状態のまま、能力使用をねだる夢追に、ホーネットはどう説得したものかと頭を悩ませた。

「屋敷内の能力使用でしたら、私がいいと言えば問題ないのでご心配なく」

「でも、ですね。私の能力はちょっと人様のお家で見せるようなものでは」

「お気遣いは無用ですよ」

「その、私の心の準備が必要なもので」

「この体勢のままでは準備できませんか」

「あの…………っっ!?」

舌戦を繰り広げていたホーネットであったが、そのとき突如自分の足に加えられた力に言葉を飲み込んだ。
夢追の足に絡めとられているホーネットの足は、というか膝は、限界まで伸ばされている。しかし、そんなホーネットの膝を、夢追が足を伸ばすことで、さらに強引に伸ばそうとしているのだ。
つまり、これ以上夢追の足に力を加えられると……あまり考えたくないことだが、恐らく膝が曲がってはいけない方向に曲がることになりそうである。
少なくとも、今は痛くもなんともないけれど、これ以上夢追の足に力が加われば、とても痛い思いをすることだけは確実である。

「どうしても……駄目ですか?」

夢追の寂しそうな声が実際怖い。
ああ、ブレーキが弱くなるってそういう……ホーネットの頬を冷や汗が流れた。
凄いことが起こらないなら自分で起こせばいい。魔人能力を見せてもらえないならば……ごくり、とホーネットの喉が鳴った。
ホーネットの様子を見て、蜂達がホーネットの顔へと近寄って、どうすればよいかと心配そうな声をあげる。

自分を愛してくれている、また自分が愛する蜂達の声を聞き、ホーネットはどうすべきか限界まで頭を働かせた。
このままではまずい。何とかしなければならない。
蜂達に何とかしてもらうならば、それはもう魔人能力使用である。
それならばいっそ、魔人能力を見せると言ってしまってよいのではないだろうか。
後のことは現状を打破してから考えればいいだろう――頭をフル回転させたホーネットはそう結論を出した。

「わかりました。私の能力をお見せします」


***


ホーネットの首肯に、わーいと歓喜の声をあげた夢追は、絡ませていた足を解いたと思った瞬間、今度はホーネットの膝に内側から足を差し込み、ひょいと体を反転させ、気付けば一瞬の内にホーネットが上、夢追が下のマウントポジションを完成させた。
そして嬉しそうな声で、ホーネットに催促の言葉を掛ける。

「んー……どうぞ……遠慮なく……」

圧迫される体勢から開放され、新鮮な空気を肺に取り込んだホーネットは、夢追の声を聞きながら、ひとまず自分の作戦が成功したことに心の中でガッツポーズした。
それでは、さて、これからどうしましょうかと、改めて自分の下敷きになっている夢追を見下ろす。

期待に瞳を輝かせ、とろりとした目でこちらを見つめ返してくる夢追。そういえば眼鏡は掛けていない。最初に抱きつく前にいつの間にやら外してちゃぶ台の上に置いておいたらしい。用意周到な。
何物にも遮られていないその顔が朱に染まっているのは酒のためか、興奮のためか。
そんな夢追を見て、ホーネットはあれ、と首をかしげた。

――これ、美味しいシチュエーションじゃないですか?

新鮮な空気によって思考がクリアになったためか、突然押し倒されて慌てていた心が落ち着いたためか、ホーネットは現在の状況をやっとのことではっきりと把握した。
そうですよ、私は何を迷っていたんでしょう、これって蜂姦の気持ちよさを広めるチャンスじゃないですか――そんな事実にやっと気付いたのである。

そう、あの数々の猛者を相手取り、幾多の死闘を繰り返した変態が丘での騒動、あれに身を投じたのは何のためであったのか。正にその蜂姦を世に広めるためではなかったか。
何をやっていたのだ埴井ホーネットよ、普段の相手が蜂と触手だったせいで、人間に押し倒されて平静さを失ってしまっていたのか。
押されるばかりで自分らしいことが何ひとつできていなかったではないか。そんなことでは変態が丘の同志達に顔向けもできはしない。
ホーネットの控えめな胸に、かつての戦いの日々を過ごしたときに宿していた火が再び灯った。

――本人から許可をもらっているのだから、やっちゃってもいいですよね。

そう、これはチャンスである。
夢追はいつも周囲を誰かしらが見張っているため手を出しづらい相手であったが、本人から了承されたのだったらば何も問題ないではないか。
滅多にないだろう難しい相手への調教機会。ホーネットとしては諸手を上げて歓迎すべき事態だ。

やりましょう、とホーネットは周囲の蜂達に視線を送る。
そして、長いこと待機していた蜂達にGOサインを出そうとして――もう一度踏みとどまった。

――でも、お客様を相手にそんなことをしてしまって良いのでしょうか。

ホーネットには二つの目標がある。
ひとつは蜂姦の気持ちよさを世に広めること。
そして、もうひとつは埴井養蜂場を世界一の養蜂場にすることである。

蜂姦を広めることを優先するならば、当然ここは前へ進むべきである。
しかし、養蜂場を支える人間という立場からすると、お客様相手にこのようなをしてしまって、本当に良いのだろうか。
先ほど考えていた、能力使用の問題点ふたつめがこれであった。
お客様と健全な関係を築き、商品の魅力だけで世界のトップに立つ、そうでなければ真に世界一の養蜂場足りえないのではないのだろうか。

ホーネットは再び悩んだ。
こんなとき、どうすれば良いのだろうか。
進むべきか退くべきか、自分を後押ししてくれる何か――

そのときホーネットに電流走る。


『出されたスシを食べない奴は腰抜け』    ――ミヤモト・マサシ


そうだ、どこで読んだかは忘れたけれど、確か平安時代の偉い哲学者がそんなことわざを残していた。多分。
私は腰抜けなんかではありません!変態が丘で出会ったみなさん!見ていてください!私はみなさんに恥じるようなことは決してしません!
ホーネットの小ぶりな胸に宿った火は、大きな炎となって燃え盛った。

――そもそも媚薬を商品として売っているんですから、埴井養蜂場の蜂がどれだけの快楽を生み出せるかお客様に知ってもらうことに何の不都合もないですよね。

壮絶な開き直りである。


***


とにもかくにも、決心を固めたホーネットに最早迷いはない。
もうここからは止まることもない。
なんだかんだと前置きが長くなってしまったが、ここからは正真正銘、調教の時間だ。
長かった前置きとお茶の時間のお陰で蜂達も既に賢者モードから脱し、準備万端である。

ホーネットはその顔に蟲惑的な微笑を浮かべ、夢追を見下ろした。
その白い肌、ゆっくりと上下する穏やかな膨らみの双丘、そして自分の腰の下にある秘密の花園。
その体に、決して忘れることのできない快楽を――きゅうと口の端を三日月のように絞り上げ、ホーネットは高々と宣言する。

「お待たせしました夢追さん……それでは私の魔人能力……たっぷりと披露(ちょうきょう)してあげます!」

普段はその行動力に反してなんともガードの固い夢追であるが、それが自ずから自分の手の中へ飛び込んできてくれようとは。
ホーネットは酒の魔力というものに感謝を奉げ、ついに蜂達へ最後の、いや、これから始まる宴の開幕の命令を下す――総攻撃!

周囲を飛ぶ蜂達に号令を掛け、一斉に夢追の柔肌を蹂躙し――

「お邪魔するわね」

「ひぁっ!」

――ようとした刹那、客間と土間を隔てる板戸の外から声が聞こえ、ホーネットは奇声と共に夢追の体から飛び退いた。

ここからは調教タイムかと思ったが、そんなことはなかったようだ。


***


お茶が切れているだろうからと、お茶のおかわりを持って客間へ入ってきたさがみさんに、ホーネットは乾いた笑いを返すことしかできなかった。
なお、床に転がっている夢追についての言い訳はホーネットが考えるまでもなく、そもそも夢追が激しく動いて酔いが回ったのか、すやすやと寝息をたてていたために事態はまるく収まった。
結局、夢追もそんな状態だったため魔人能力を見せるという話もうやむやになり、調教なんてできるはずもなく――
その後、ホーネットは大人しく過ごすことになった。
だが、ホーネットはそれを残念だとは思っていなかった。
転んでもただでは起きない埴井ホーネット、彼女は今日の騒動を通して、ずっと悩み続けていた新商品の微かな光を見つけていたのだ。

時刻は既に夕方。

なんだかんだと夕食まで夢追の屋敷でご馳走になったホーネットは、暮れなずむ街を背に、夢追へとお礼を述べた。

「夕食までご馳走していただいてありがとうございました!」

既に酔いの醒めた夢追は、そんなホーネットの言葉に対し、先ほどの自分がした『お願い』を思い浮かべて恐縮しつつ、いえどういたしまして、先ほどはすみませんなどと返した。
しかし、そんな夢追にホーネットは朗らかに笑いかけた。

「そんなに気にしないでください、夢追さん!私、夢追さんのお陰で新しいアイディアがひらめいたんですよ!」

遠慮がちな胸の前、両手でガッツポーズをしながら、ホーネットは目を輝かせて言った。

「新しいアイディア?」

何のことでしょうかと首をひねる夢追に、ホーネットは申し訳程度の胸を張る。

「はいっ!埴井養蜂場の新商品ですっ!」

グッっと握った拳を天に突き上げ、浮き浮きとした声で語るホーネットに、萎れていた夢追もまた元気を取り戻す。

「おお!それは期待しちゃいますよ!」

笑顔になり、勢いよく食いついた夢追に、まだ企画を思いついただけだから商品がちゃんと出来上がるかわからないですけどと照れながらホーネットは応える。
しかし、そんなホーネットに夢追は大丈夫ですと力強くうなずく。

「今日のホーネットさんが淹れてくれた紅茶、とても美味しかったです!私はホーネットさんが努力家であることを知っています!ホーネットさんならできますよ!」

夢追の言葉に、ホーネットもまた力強くうなずき返した。

「はいっ!頑張りますっ!えい、えい、おー!ですっ!」

今日一日のどたばたを全て水に流して、二人の少女は元気よく笑顔を交わす。
それは結局、日常でも激動でも調教でもない、喜劇でも悲劇でもない、二人の少女の友情が産んだ奇跡の物語。
夕日によって長く長く伸ばされたふたつの陰法師が、嬉しそうに楽しそうに、その身を精一杯背伸びさせて踊っていた。


***


「ブーン(何をやっているの?)」「ブンブーン(新しい商品の企画?)」

「そうです!どんなお堅い人の理性も蕩けさせる新たなる媚薬!」

「姐さん、それは……まさか!」

「はいっ!これこそが埴井養蜂場の新商品――蜂蜜酒ですっ!!」

「ブーン(なるほど!)」「ブンブーン(いいアイディアかも!)」

「姐さん!さすがです!」

「あっ……みなさん……そんな、あっ、やん、まだぁ……」


埴井ホーネットと彼女のパートナー達の闘いは今日も続く。目指せ埴井養蜂場、世界一!!! <終>



社のお・ま・け

夢見ヶ崎さがみは、社の中の神社、逆さまの鳥居の前に立ち、空に向けて伸びる鳥居の足の片方に手を沿えた。

「聞いたわよ、社。今回のティッシュ騒動、埴井さんの媚薬のせいだったんですってね」

ぺちり、と鳥居の足を叩く夢見ヶ崎。

「なるほど、媚薬で興奮状態だったのなら仕方ないかもしれないわ」

握り拳をつくり、ドアをノックするようにこつんと鳥居の足を叩く。

「でも――屋敷のあなたにどうして媚薬が効くというのかしら」

パン、と乾いた音を立て、夢見ヶ崎の掌が鳥居の足に当てられる。

「ときには理由をつけて羽目を外したくなる気持ちも分かるけれど」

ぐっ、と鳥居に当てられた夢見ヶ崎の腕に溜めが作られる。

「かなめ、恥ずかしがっていたでしょう」

夢見ヶ崎の腕に力が込められ、溜めが解放される。
瞬間、逆さまに立っていた鳥居が夢見ヶ崎の手の先でブンと振られ、空中で半回転し、普通の鳥居のように二本の足がズシンと地面に突き立てられた。

「まあ、かなめが自分から飛び出していったのだし、今回は何事もなかったからこれ以上は何も言わないわ」

自分が寝起きしている武道場へとゆっくり歩を進めながら、

「ただ、かなめが困るような愛情表現を今後するようだったら……地盤にひびのひとつやふたつは覚悟してもらうわよ」

そう言い残し、夢見ヶ崎は去っていく。
風もなく、穏やかな日であったが、神社の戸が微かにカタカタと鳴った気がした。