あれはシークレット自重ダンゲロス開幕の数日前――
その日、希望崎学園生にして報道部所属の1年生、夢追中(ゆめさこ かなめ)の家にて、
少しばかり季節を先取りした、鍋パーティが開催されていた。
パーティに参加しているのは夢追にとって馴染みの面々。
「お肉……いただきますね」
夢と現をうつろう少女、虚居まほろ。
「ちょっと!それあたしが狙っていたヤツよ!」
嫉妬と羨望の体現者、埴井葦菜。
夢追、虚居、埴井の3人は希望崎学園地下に広がるダンジョンの探索を共通の趣味として持ち、
これまでに何度もパーティを組んで、迷宮探索をしてきた仲である。
といっても近頃は埴井がアイドル修行を始めて忙しくしていたり、
あるいは夢追が持病の発作のために思うようにダンジョンへ潜れなかったりと、
なかなか3人揃ってダンジョン探索というわけにもいかなくなっている。
そんなメンバーが今回なんとか都合をつけて、こうして顔をあわせたのには理由がある。
「葦菜ちゃん。ほら、この肉が良く煮えているからこっちを取りなよ」
友と共に有る存在、寅貝きつね。
夢追達のように趣味で迷宮探索をする同好の士の集まりと違い、
生徒会からの依頼を受けて迷宮探索を行う、いわば迷宮探索のプロ。
今日はその寅貝が参加メンバーに加わっているからである。
今回の鍋パーティはそもそも、
長期の迷宮探索から帰還した寅貝が戦利品である大量の薬草をお裾分けにと夢追の家へ訪れ、
それを受け取った夢追が、じゃあこれで鍋でも作ろう、でも1人2人じゃ食べ切れない、
それなら迷宮探索の話も聞きたいし、いつもの面子を呼んで、みんなで鍋をつつこう、
そんな感じにその場のノリと勢いで企画・実行されたものであった。
その日もいつもと同じ、いつまでも和やかに物語は進むと思っていた――
夜の帳が降り、秋の夜空には青白い月が煌々と輝き、夢追の家の中庭にある枯山水を濃く淡く陰影付ける。
そんな庭を一望できるよう障子の開け放たれた客間の中は、囲炉裏の火と蝋燭の灯りが揺れ、
笑い合う少女達の顔をあるいは赤に、あるいは橙に、優しく染め上げる。
「それで、これが苦労して手に入れた立派な薬草だよ。見た目は普通の薬草だけど……」
「ああ……そういえば私達もヴァンパイアにレベルドレインされた後にグレーターデーモン9体に囲まれて……」
「あんたそれいつの話よ。また妄想でダンジョンに潜っただけでしょ」
「おかわりをどうぞー。あ、蝋燭も代えないと駄目ですね」
きっかけはほんの些細なこと。それは一本の蝋燭から――
***
秋の夜長に囲炉裏を囲んだ談笑は続き、気付けば蝋燭が一本燃え尽きようとしていた。
それに気付いた夢追が、新しい蝋燭を持ち出し、火を移す。
そんなとき、その様子を見ていた寅貝が、夢追にふとした疑問を投げかけた。
「ねえ、かなめちゃん。その蝋燭だけど、少し甘い香りがするよね。
気になっていたんだけど、アロマキャンドルか何かなのかい?」
寅貝の問いにああ、と声を出し、これは蜂の巣から作られた蜜蝋燭なんですよ、
特別に厳選してもらった材料を使っているんで、いい香りですよねと答える夢追。
それを聞き、へえ、蜜蝋燭って甘い香りがするんだなどと納得する寅貝であったが、
逆に、その答えを聞いて何よそれと大きな声をあげたのが埴井であった。
「ちょっと!それってホーネットのところのやつ!?」
「はい、葦菜ちゃんの従姉妹のホーネットさんから貰ってます」
埴井葦菜の従姉妹である埴井ホーネットは養蜂場を営んでおり、
それを埴井葦菜から聞いて興味を持った夢追はその養蜂場を訪れ、蜜蝋を分けてもらった。
そしてその蜜蝋から作った蜜蝋燭の出来が気に入った夢追は、以来、
埴井ホーネットの養蜂場、埴井養蜂場を贔屓にしているのだ。
しかし、埴井養蜂場は通常の商品を扱う他、媚薬や惚れ薬のような、
いわゆる“危ない物”も扱う場所である。
それをよく知る埴井葦菜としては、蝋燭が埴井養蜂場製と聞いて落ち着いている訳にもいかない。
「その蝋燭、大丈夫なんでしょうね!?」
「ええ!?えっと……」
詰め寄る埴井に対し、そういえば危ないほうと危なくないほうがあるとか言っていたなぁと、
商品の説明をするホーネットの姿を思い出す夢追。
そんな2人の間に仲介として入った寅貝を交え、わいわいと賑やかに話を進める3人。
そんな中、
3人から離れ、虚居は1人、寅貝の持ち込んだダンジョンの戦利品を漁っていた。
寅貝が戦利品を取り出し紹介をしているとき、雑多な品々に本が一冊混ざっているのが気にかかっていたのだ。
寅貝にその本は何かと直接聞いてもよかったのだが、
どうも話を切り出そうとするたびに寅貝が別の戦利品の紹介を始めてしまい、なかなか聞けずにいた。
それがちょうど蝋燭騒動のおかげで寅貝の目が戦利品一式から離れたため、今が好機と手を伸ばした訳である。
ダンジョン内にあったためか、表紙が汚れて正体の分からぬその本を手に取った虚居は、ぱらりと表紙をめくり――
***
――ばさり。
虚居のいる場所から不意に響いた音に、ちょうど騒ぎを終えていた夢追、埴井、寅貝が何事かと振り向く。
振り向いた3人の視線の先には、普段透き通るように白い頬を赤く染め、取り落とした本を呆然と見つめる虚居の姿があった。
「あ、それは……」
「どうしたのよ?その本ってきつねちゃんの戦利品?」
困ったなという顔をする寅貝の脇をすり抜け、ひょいと本を拾い上げた埴井は何気なく表紙をめくり――
「んなっ!?」
妙な声をあげ、虚居と同じく、顔を朱に染めて固まった。
「まいったな……。それはみんなに見せるつもりはなかったんだけど……」
眉をしかめ、困り顔を作りながらもどこか柔らかい笑顔を感じさせる表情で、
固まったままの埴井の手からそそくさと本を回収する寅貝。
その拍子にはっと我に返った埴井は、赤い顔をさらに赤らめながら寅貝に食って掛かった。
「ちょちょちょちょっと!な、なんなのよ!あんた何でそんなもの持ち歩いてるの!?」
虚居、埴井の両名を赤面たらしめたその本――それは、いわゆる一種のエロ本である。
エロ本――思春期の少年少女を魅了してやまないその本は、迷宮探索の花形である。
希望崎の生徒で迷宮探索を行う者の多くはこれを入手することこそが目的であるのだ。
それと同時に、深層探索をする者にとってモンスターを回避するための必需品でもある。
寅貝の場合は後者の理由によりエロ本を持ち歩いていた。
いついかなるときに迷宮探索召集がかかっても良いようにという、これぞプロの心得だ。
とは言え、状況だけを見れば隠し持っていたエロ本が友人に見つかるという気まずいことこの上ないもの。
当事者が並みの人間ならば場が荒れること必定の状況であるが、
「違うんだよ葦菜ちゃん。これは君が思っているような理由じゃなくて……」
そこはコミュニケーション力に特化した魔人、寅貝きつね。
あくまで堂々と、冷静に、そして的確に、かつ巧みに言葉を選びながらエロ本の所持理由を語り、
あっという間に虚居、埴井の二人を納得させ、その場を沈める事に成功した。
「えーっ!何だったんですかー!?私まだよく見れてないですよー!!」
否、寅貝が巧みな言葉選びをしたが故に状況を把握できていない人物が一人いた。
夢追である。
元々が深窓の令嬢として育てられ、かつ現在はそっち方面にガードの固い親友達に護られている夢追は、
そういう類の話題の、特に隠喩にはひどく疎いのであった。
首を伸ばしてくる夢追を止め、あんたが見るようなもんじゃないわと宥める埴井。
「えー!なんだか小説っぽいものがちらっとしか見えなかったです!気になりますよ!」
しかしなかなか諦めぬ夢追は、
「えーと『熟して割れたあけびの実は瑞々しく、私はその割れ目に口を添え、甘い蜜を存分に』……むぎゅっ」
「わーっ!わーっ!!」
まさかのちら見した官能小説音読を敢行した。
それに対して大慌てで夢追の口を押さえる埴井。
そんな恥ずかしいものを朗読されてしまっては聴いているほうが恥ずか死してしまうというものだ。
「むーっ!むむぅー!」
「あんたって子は……」
手の中で暴れる夢追を見ながら、思わずため息の漏れる埴井であった。
***
「前から思っていたけど、あんたはもうちょっと世間を知るべきだと思う」
ひとまず騒動を収めた後、囲炉裏を囲み、食後のお茶を啜りつつ、埴井は夢追に説教をしていた。
「あんたは正直、ちょっと過保護な扱いを受けてるのよ。この家……社?いつもこいつに護られているし。
まあ身を護ってくれるっていうのはいいかもしれないけど、あんまり何でも任せてちゃ駄目でしょ」
「うう……」
埴井の言葉に、少しは自覚があるのか縮こまる夢追。
夢追の周囲の扱いが話題にあがったのは今回に限った話ではない。
迷宮探索の際に、苦労して見つけたレアアイテムを、社の強制帰還能力により全て失ってしまうことなどもよくあった。
埴井が怒るのも無理ないことである。
その辺りの事情を思い浮かべているのか、夢追はしょんぼりとした顔で、
意見を伺うように、隣に座る虚居へちらりと視線を投げかける。
「私も……せっかく沢山の種類があるなら、みんな読んだほうが読書は楽しくなると思う」
しばらく悩んだ末、虚居はそう静かに告げた。
その言葉にうーんと頭を抱え、悩みこんでしまった夢追であったが、
それまで黙って状況を見守っていた寅貝が、そんな夢追に優しく語りかけた。
「僕は無理して自分と自分の周りを変える必要はないと思うよ、かなめちゃん。
友達が護ってくれるっていうのは、それだけでとても嬉しいことだからね。
君が友達に対していつも凄く感謝していることも良く知っている。
それに君の友達が君をいつも大切に思っていることも良く知っている。
だからね、君が望むなら、友達の好意に思い切り甘えていたっていいんじゃないかな。
それでたまにはこんなことがあるかもしれないけれど、
それだってやっぱりみんながこうしてフォローしてくれるからね。
無理せず、自然にやっていけばいいんじゃないかな。
少なくとも、それで君の事を嫌いになる人はここには居ないよ。
なんだかんだ言ったって、そんなところがかなめちゃんの魅力だと僕は思うし、
みんなそんなかなめちゃんのことが好きなんだからね」
さらさらと淀みなく言われたその言葉に顔を上げる夢追。
まだどこか悩んだ風のあるその表情を見て、寅貝はにこりと笑う。
「ただ、もし君が自分と自分の周りを変えたいと望むなら、僕は全力で君に協力するよ」
いつでも相談して、僕達は友達だからね――寅貝はそう言葉を結び、笑いかけた。
その笑顔にほだされたように、夢追もまた笑顔を取り戻し、
「ありがとう……きつねちゃん、それに葦菜ちゃんにまほろちゃんも」
そう、告げた。
そしてシークレット自重ダンゲロス当日――
「ま、まほろちゃん……」
目の前で赤面する夢追を見て、虚居は愕然としていた。
あの身持ちの固い夢追が、まさかティッシュをまとっただけの格好で外をうろつくとは。
まさかこんなことになろうとは――
なんて言葉をかけるべきか、なんと言うのが正解なのか、
かつての鍋パーティの記憶が頭の中をぐるぐると巡り、虚居は眩暈を覚える。
しかしこんなところで倒れている場合ではないと気を持ち直した虚居は、なんとか口を開いた。
「ごめんなさい、夢追さん……」
「あ、あの……これは……」
「まさかあの時の私達の言葉があなたをそこまで追い詰めることになるなんて」
「へ!?」
「正直に言うのは……辛いけれど、友達として言わないと……それは、方向性を間違っていると思うわ」
「あ、いや、これはですね……」
「でも安心して。そんなことであなたのことを嫌いになったりはしないから」
「あの、そうではなくて……」
「大丈夫。一緒にゆっくりとやっていきましょう」
「誤解ですーーー!!!」
夢追中のシークレット自重ダンゲロス、只今開幕!!